事大主義が功を奏してある程度まで発展した経済も、事大主義であるがゆえの限界に達し、必然の停滞を迎えただけではなく、衰退の坂道を転がり始め、アメリカの高官に「二流国家」などと露骨に揶揄されるまでになり、国際的な影響力——といっても、むやみに金をばらまくという成り金趣味の大盤振る舞いでしかなかったのですが——が失せてきた途端に、それまで資金援助が目当てで遠慮していた近隣の諸国が、一斉に牙をむき、ちょっかいを出し始め、有利な方向へと動き出した自国の立場をさらに有利なものにしようと画策しています。
 熱に浮かされたような繁栄の幻影を求めて、夢よもう一度とばかりに奮起を誓ってみたところで、事大主義を脱することができない限りは、あの見せ掛けの経済先進国という立場にさえ返り咲くことはまずもって不可能でしょう。なぜとならば、揺るぎない真の繁栄をつかむには、自立の精神が必要不可欠だからです。自立の精神がとは、要するに、抵抗や反逆の精神のことであり、それが疲弊の壁を突破できる唯一のブルドーザーなのです。
 強い者に従い、おのれのすべてをなげうってかれらの言いなりになる、そんな生き方が遺伝子に組み込まれてしまっているのではないかと疑いたくなるような国民に、果たして自立があり得るのでしょうか。
 どうやっても止められない衰亡を一挙に挽回させようとして、またもや現人神を担ぎ上げ、軍事独裁国家をめざすようなことにならなければいいのですが。
 ちなみに、軍事クーデターは思いのほか簡単にやってのけられるものなのです。