民主主義とは、つまり、愚者たちの犠牲になることです。
 愚者が愚者たる所以は、賢者が賢者たる所以である極めて少数ということに反比例して、絶対的大多数を占めていることなのです。そうでなければ、選挙でもって、毎回毎回こんな連中を選び、投票するはずがありません。かつて有名人だったから、人柄がよさそうだから、顔立ちが好みに合うから、立派な学歴を持った、元偉い役人だったから、有名政治家の息子だから、握手してくれたから、土下座して涙を流してくれたから、孫を抱いてくれたから、息子や娘の就職や結婚に力を貸してくれたから、笑顔が素敵だから、地元に橋を架け、高速道路や新幹線を通してくれたから、原発や大企業を誘致して働き口を増やしてくれたから、一杯飲ませてくれたから、などといった、そんな呆れ果てた理由と口実でもって、熱心に選挙に参加する者が大多数なのです。
 要するに、選挙に打って出ようとする連中は、その事実をよくよく承知しており、一部の賢者など最初から相手にしてはいません。そんなことをすれば敗北するからです。
 愚者たちに的を絞り、欺きやすいかれらの心をかすめ取り、愚かに過ぎる票をかき集めて政治家になろうとする連中は、当然ながらまともな人間ではありませんし、ろくな輩ではないのです。勝利したあかつきには、かれらは必ずや、ぺこぺこ頭を下げ、媚を売り、愛想を振りまいた反動として、また、ひた隠しに隠していた本性をむき出しにして、元を取ることを考え、えげつない手段を用いて実行に移し、下世話な欲望を満足させようとします。これの繰り返しが選挙というものであり、民主主義なるものの実態なのです。この一点から目を逸らしてはならないでしょう。