若者たちが権力に抗うことをやめてしまった国家は必然的に衰退へと向かうという定説は、むしろ真理と言うべきで、日本にその兆候が現れてからすでに久しく、実際のところ、事態はますますその色を濃くしているありさまです。
 逆らわなくなったどころか、自ら進んで強者に従う道を歩きたがり、権威と権力の悪臭に染まることを望んでいるようで、そのためのこすっからさのみを身につけ、周囲の空気を読むことばかりに意を用い、薄汚い世間をどうやって縫って生きてゆけるかということにのみ意識を集めているようです。
 そして、口先だけの、ひと昔前の乙女たちが憧れたような、所詮はきれいごとにすぎない、現実離れした夢と希望を自身の将来の目標として、一種の体裁や見栄として掲げてみせるのですが、そのための努力を真剣に重ねているというのならまだしも、結局は惨めな立場を取り繕うための、単なるお飾りでしかなく、歳を取るにつれて、現実の分厚い壁に押しつぶされてゆき、しまいにはにっちもさっちもゆかなくなって、実に安易な自死という答えをあっさりと出すこともあるのですが、それはごく少数で、大半の者たちはそれでもなお弁解の言葉を探し、一時凌ぎの気休めの言葉にしがみついては、憂き世の荒波に呑みこまれて精神的な溺死を迎えることにマゾヒズムの喜びを見いだし、あげくに深い沈黙状態へと陥ってゆき、万事休すということになるのです。
 しかし、こうした若者たちの現象は、経済的な繁栄に甘やかされて、緩くて楽な価値観に飛びついてしまった団塊の世代のおとなたちの生き方をそっくり踏襲しているにすぎません。