生い立ちやら容貌やら体力やら気力やら才能やらの問題で劣等意識に苛まれ、そこから脱出するための道を本気で考えず、困り果てたあげくに、憧れいっぱい夢いっぱいの安っぽいナルシシズムで構成された文学なるものに救いを求め、束の間の癒しを得ながらおとなになり、この文学を生活の糧にしようと意を決したものの、文学を逃避の道具として利用することに長けてはいても、もとより小説家の才能などあろうはずもなく、そこでやむなく、文藝評論家という、実に曖昧な、ハッタリと世渡りの術だけが頼りの仕事を始め、それくらいわかっているのなら自分で書いたほうが早いのではないかと思えるほど偉そうな言葉を並べ立て、その矛先が社会に向けられることでマスコミから重宝がられ、ちやほやされると、胸のうちで渦巻いていたあの劣等意識の反動がますます強まり、文学を踏み台にして文芸評論家以上の存在になろうともくろみ、つまり、社会的な出世を激しく求め、なりふりかまわぬ裏切り行為をやってのけて権力側に寝返り、力のありそうな者に取り入りながらのし上がり、ついには代議士になり、大臣になり、知事になったりするのだが、しかし、そもそもその器ではないために、かなりの無理を強いられることになり、また、あまりの節操のなさと調子に乗り過ぎたことが災いして、ついにはボロを出し、一挙に転落の坂道をころげてゆくことになる。
 そうした種類の人間をここ半世紀のあいだに何人も見てきたが、あんなことをしていればこんなことになるという悲惨な答えを見るたびに、かれらの劣等意識の底に横たわる心の闇がいかに深いものであり、その犠牲となることの憐れさがいかに悲劇的であるかを思い知らされるのだ。