自分が属している国家をその実力以上に持ち上げ、過大評価し、ひいては神に直結する民族であるなどと馬鹿馬鹿しいにも程がある、子ども騙しにもならない説を大真面目にのたまう者たちの神経を疑う前に、かれらの立場に思いを馳せる必要があるのかもしれません。おそらく、というか、まず確実に、かれらに取りついているのは過度にして不幸な劣等意識に違いないのです。そうとでも言わないことには打ち消せないほどの惨めなものを内に秘めていて、そうしたナルシシズムで、アナクロニズムで、マゾヒズムで、ヒステリックな、思想のうちに入らない思想にのめりこまないことには、おのれを保っていられないほどの惨めさに苛まれつづけているのでしょう。
 しかしそれは、共産主義を未だに信奉していたり、極左的なテロリズムと暴力革命によって理想の国家を実現させることが可能と思いこんでいたりする人たちにも言えることなのです。つまり、双方共にリアリティがすっぽりと欠落しており、それはまた、人間がいかなる生き物であるのかという事実にさほど目を向けなかったことに起因しています。
 おそらくかれらは双方共に、少女趣味的なロマンのなかに生きているのでしょう。そしてロマンチシズムはその背面に底なしの残虐性をも兼ね備えており、運命のいたずらによって何かの拍子に事がかれらの思惑通りに運ぶことがありますと、その裏の部分が表と入れ替わり、獣性がむき出しになり、またしてもこの世の地獄が再現され、収拾のつかない混沌の時代へと突入してゆくのです。
 そして、曖昧で、退屈で、単調な日々のなかに限界を感じるような、たとえば暮らしそのものを脅かされるような状況に陥ると、普通の人々はかれらに取りこまれるのです。