オリンピックで獲得するメダルの数の増減によってその国の価値が上がったり下がったりするような馬鹿馬鹿しいことなど絶対にないのです。そんなことで立派な国だと思って誇りに感じる者がいるとすれば、その浅慮さを自分自身で叩き直すべきでしょう。しかし、実際にはそうした人々の数はあまりに多く、なかにはおのれの人生にその感動を無理やり取りこもうとするのですが、結局は、「勇気を分けてもらった」という、ありきたりにしてきれい事の言葉を吐くだけで終わってしまい、分けてもらった勇気をその後の人生において有効に使い、大いに役立てたという例はほとんどありません。つまり、同じ国民というだけの他人がもたらした一過性の感動であって、それ以上の意味はなく、自身の人生は相変わらず国家や社会や世間の意図に振り回されつづけ、努力とはいっさい無縁な、きのうと同じきょうをくり返すばかりの無意味な暮らしを送るだけのことで、その間に、国家に対する歪んだ妄念が根づいてゆき、自分のものと思いこんでいるだけの国をわが祖国と信じこむようになり、そのために命を捧げることこそが、金メダルを獲得する以上の功績であり、名誉であり、義務であると決めつけるようになるのです。
 オリンピックと同様、領土問題も実際には国家を統べる者たちの関心事でしかなく、それはその地位に就いているかれら自身の努力でどうにかしなければいけない課題であるのですが、しかし、あらゆる手練手管を弄して国民をなんとか巻きこもうと、とりわけかれらの番犬には打ってつけの、兵士となって闘い、死んでくれる可能性の高い若者を洗脳するのです。それにはまず、この国が世界に冠たる素晴らしい国であると錯覚させ、そのためにはスポーツであれ文化であれ、利用できるものは全部利用してかかるのです。