オリンピック開催の決定がどうして日本の未来に希望の灯を点したことになるのでしょうか。そんなことで心が明るくなったとか、元気をもらったとか、本気で口走る人々の神経はいったいどうなっているのでしょうか。この国がどっさりと抱えこんでいる深刻極まりない大問題から目を背けさせるための《誤魔化し》としてのオリンピックであることにどうして気づかないのでしょうか。一般の国民にとってオリンピックなどなんの関係もありはしないのです。先の東京オリンピックの際、勤め人の一員として朝から晩まで働かされたときの実感が、まさにそれでした。所詮は、一部の関係者たちだけに限られる、税金を湯水のように注ぎこんだ、その場限りのお祭り騒ぎでしかありませんでした。
 ちなみに、自国がメダルを幾つ獲得したかというような、このあまりに狭量であまりに姑息な精神はいったいどうしたことでしょう。誰がメダルを受けようと、それはあくまで当人自身の名誉であって、国家の名誉などであるわけがないのです。立派な国家の証しにでもなったと心底から信じるつもりなのでしょうか。頑張った選手から元気をもらったというようなコメントを発したがる人々は、その元気とやらをオリンピックが終わったあと、自分の人生にどう活用したのでしょうか。ただ単に、カンフル注射的な束の間の高揚感を得て満足してしまっただけのことで、その三日後にはもう、強者の言いなりになって、適当に生きるしか能がない、ぐうたら人間に舞い戻り、あとはまた次のオリンピックに漠然とした夢をつなぐばかりの日々を延々とくり返し、国家権力にカモにされ、その他さまざまな集団にこけにされて、せっかくの一生を自ら台なしにしてゆくのでしょうか。