国家を牛耳る特定少数の輩が、実際には自分たちだけに関係した打算の問題なのに、それを言葉巧みに国民全体の問題であるかのように信じこませて、あるいは、国民のための国家であるかのような錯覚を抱かせながら、国家がいよいよ露骨な悪へ向かって、つまり軍事独裁国家を念頭に置いて動き出すときの顕著な前兆はむかしから相場が決まっているのです。それは、愛国の精神を押しつけてくるときなのです。
 国を愛するかどうかはどこまでも主観の問題であり、基本的な人権の根幹にかかわる自由意志の問題であって、他人からとやかく言われる筋合いはありませんし、ましてや国家などから無理強いされる覚えなどさらさらないのです。しかし、ここへきて政府は、間抜けなくせにそのふりをして見せるだけの演技力も尽きてしまった野党が国民からの支持を失ったままであることに付けこんで、いよいよ本性を剥きだしにしてきました。
 愛国だの郷土愛だのというアナクロニズムまる出しのおどろおどろしい価値観を封印したはずの棚の奥から引っ張り出してきて、教育課程を通して洗脳へと持ってゆこうともくろんでいます。つまり、国民にとっては完全な赤信号が点ったというわけです。わが郷土だから愛さなければならない、わが国家だから愛するのは当然だという、あまりにも短絡的な発想は、ちょっと考えれば矛盾だらけであることが判明するのですが、事大主義に毒されているおとなや、まだ世間のなんたるかも知らない子どもたちには、単純な理屈ゆえに、すんなりと吸収されてしまい、いつしか知らずその心は民族主義や国家主義や全体主義に蝕まれ、一個の独立した存在者ではなくなっており、蟻や蜂のごとく、自己という個人を集団に埋没させる犠牲精神に恍惚としながら破滅へと突き進むのです。