道徳なるものを国家が国民に強引に押し付けてくるのは、とりもなおさず国家主義の補強謂いにほかならず、それはまた右傾化の露骨なしるしでもあるのですが、しかし、今やこの国はその段階を一気に飛び越えて、無意味にして自虐的な好戦的な国家へと後退しつつあり、その悲劇的な動きは、物事を深く考えることを生理的に忌み嫌い、情緒だけを頼みして世渡りをしようとする、一個の独立した人間でありたいという尊厳を生まれたときから放棄してしまっている多くの人々の、あくまでも雰囲気だけの賛同に支えられながら、取り返しのつかない方向へ突き進んでいます。
 〈原発犯罪〉による放射能汚染を容認したばかりか、見せかけの繁栄の維持のためだけにその巨大な危険を持続させようとし、しかも、今度は国民を国家の番犬に仕立て上げるための、嬉々として命を投げ出してくれる兵士にさせるための洗脳に力を注ごうとしているのですが、それは道徳などとはなんの関係もない、むしろ、反道徳的な邪悪な行為であるのです。つまり、国家はいよいよ悪としての本性をむき出しにしてきたというわけです。
 真の道徳とは、自立の精神を培うことであり、自立の精神とは要するに、自分の考えで行動するという、当然至極の生き方を指すのであって、けっしてそれ以外の何かではありません。道徳とは本来、精神的な葛藤によって自己のなかからひとりでに滲み出てくるものでなければならず、ましてや悪の権化に陥りやすい国家権力が口出しすべきことでは絶対にないのです。
 為政者は愛国の名のもとに、ふたたびこの国を破滅と破壊へと導こうとしています。民主的な国家体制では幸福になれないと信じこませようと躍起のありさまなのです。