戦争と、震災と、それに伴う〈原発犯罪〉からこの国の人々はいったい何を学んだと言えるのでしょうか。結局は涙を流しただけできれいに忘れ去ってしまい、教訓のかけらも得られなかったのではないでしょうか。そうでなければ、戦争に食指を動かす政府や、原発の再稼働に積極的な為政者を黙って見逃すはずはないのですが、しかし、実際にはかれらの言葉に乗せられて、あるいは、損得勘定のみで、かれらを支持する側に回ろうとしているのです。反省能力もなければ、自浄能力もない人間性を人間性とは呼べません。それは、愚劣なばかりか卑劣でもある、主義と呼ぶことさえおこがましい事大主義に毒されつづけ、そこから脱出する考えなどさらさら持ち合わせていないからです。
 〈原発犯罪〉の件で、国民の怒りが一過性のものであり、単なる付き合いの一環として憤怒のふりをして見せただけであることが露呈され、実際には強者に従う選択しかできないことが判明すると、国家をわが物としてきた連中はもっと好き放題に扱える国家を欲するようになり、つまり、この分ならば戦前の国家体制に戻したところで大丈夫だろうという確信を得て、次から次へとあこぎな手を打ち始めたのですが、しかし、残念ながらかれらの読みは当たっていて、暴動につながるような騒ぎには発展せず、おとなたちは他人事のようにして最悪の事態が迫り来ることを傍観し、消費税のアップも看過し、ひたすら老後のささやかな幸福を夢見ながら、肉体と精神をすりつぶしながら、〈いい思いをしているほんのひと握りの連中〉のために働きつづけ、そして若者たちはというと、善悪などにまったく関心を示さず、ましてや理不尽で不条理な権力に抵抗するどころか、そっちへすり寄って飴玉のひとつももらおうというおのれの魂胆を恥とも思わないありさまなのです。