この国の動向は、自ら勝ち取ったわけではない自由と民主の真意を未だに理解しておらず、また、理解しようともしていないために、依然として社会の隅々までが事大主義の色に染まっていることを、あの《原発犯罪》がほとんど追求されないことで再確認した為政者たちの露骨な画策によって、またしても暗黒の時代へと急速に戻りつつある
 そして、ひとえに責任を取ることが苦手で、そうできないことまでもまるく収めたがり、物事を深く考えることや自力での判断を本能的に忌み嫌う国民の大半は、今夜の酒が飲めて、とりあえず食べてゆかれるのならば、何がどうでもいいではないかという投げやりな答えにしがみつき、国家と国民をより強い姿勢で守ってくれるという国家主義もわるくはないではないかという、空恐ろしい楽観主義に身を委ね、相も変わらぬ情緒がすべての、昆虫的な連帯感に浸って束の間の安堵感を得ようとしている。
 まったくもって解せないのは、これこそが現実に対処するための現実そのものなのだからという大義のもとに、富国強兵という時代錯誤も甚だしい戦前、戦中の国家体制に戻して、その先をいったいどうするつもりなのかという具体的な展望のことだ。周辺諸国に舐められてたまるか、敗戦国家の立場にいつまでも甘んじていると思うなよ、そろそろこの辺りで日本国の底力と恐ろしさを見せつけてやるぞという、かなり威勢のいい、無邪気な発想に誘惑されたとしても、それを本気で実行に移せるかどうかというところまで考え抜いているかについて、その関係者たちに問うてみたい。訊くまでもないことだ、本気に決まっているじゃないかと、憂国の士を気取って凄んでみせるところまではまあいいとして、問題なのは近隣諸国と戦争して勝てる自信があって言っているのかということだ。