今度戦争を始めた場合には、同じ轍は踏まないし、圧勝してみせると豪語するのは簡単だが、それでは先の戦争の時とまったく変わらない、虚勢の優先にすぎず、凄惨な悲劇のくり返しに終わることは明々白々の事実なのだ。いや、今度はアメリカという大親分がバックに付いているから、いざとなったら軍事大国の援護を受けて勝てるという考えは大間違いで、アメリカはアメリカ好みの戦争に日本を引きずりこみたくても、日本の都合で引き起こされた戦争に心底から加担するつもりなどさらさらないのだ。要するに、当初はトモダチらしい振る舞いを見せ、義理の援護をするであろうが、自国にとって何の利益ももたらさないと判断した段階で、あっさり手を引き、犠牲者の数が限界に達した頃を見計らって平和を仲介する側に回り、そのときはまた先の戦後の時代を数倍も上回る、見るも無惨な零落を味わい、生き残った国民は涙を流すばかりで、何がどうなってこうなったかについてまったく考えずに、口先だけの平和を求めるのみだろう。
 日本という国家が心底から国民を守る気概を持ち、そのための能力と実行力を持ち合わせているとしたら、とうにそうしているはずで、少なくとも国民が多数他国に拉致されるという、言語道断な事件を長いこと見て見ぬふりをし、大問題として浮上してきてからさらに多くの歳月が流れているにもかかわらず、まったく進展が見られないというような、そんなお粗末な結果を出してはいないはずだし、原発から完全撤退する道を迷うことなく選ぶはずなのだ。
 国民のために存在する国家など皆無である。いかなる国家も国民を利用価値としての存在としか見なしていない。その事実のなかの事実をゆめゆめ忘れてはならない。