人類が理性や知性といた、他の生き物には見られない特性を具えている存在であるならば、いかにもそれらしい、崇高にして偉大な理想と目的を持ち、それを実現させるための実行力を発揮しなければなりません。ところが、現実はどうかと言いますと、人間同士が敵味方に分かれて殺し合うといった、ほかの獣類においてもめったに見られない、無意味で、かつ残虐な行為を未だにやめることさえできないありさまなのです。
 そのことをほったらかしにして、文化も、芸術も、教育も、取り澄ました顔をして、もしくはわれ関せずといった態度で、堂々と存在し、政治と、政治を司る国家は、平和という言葉を切り札のように使いながらも、その実、軍事力がすべてという価値観からどうしても離れられず、どうにしかして他国を圧倒する、一撃のもとに粉砕できる効果的な強力な武器を手に入れようと躍起になっており、大半の国民もまた武力を現実のなかの現実と位置付け、おめでたくも戦場に赴くのは自分ではないことと錯覚し、もしくは、血と肉と骨を飛び散らせるのは敵兵のみであって、絶対に自分ではないという異様な楽観主義と英雄主義に毒されて、祖国防衛という昔ながらのインチキ臭い大義名分を、積極的に、消極的に支持しています。
 ために、戦争それ自体は公認されたも同然と相なり、必要悪の代表格に押し上げられ、いつでも好きなときに、ゴジラなど問題にもならないほどの破壊力を秘めた怪獣となって出番を待っているのですが、しかし、戦後数十年を経てそれを恐れる者は激減し、というより、戦争がもたらす悲惨さを理解できず、理解しようとせず、むしろ、平和に飽き飽きした反動として、あまりに危険な刺激に魅了され始めているのです。