日本のマスコミは、記者クラブなる異常な団体が情報の流れを仕切っていることに象徴されるように、自由な立場で政府に質問をぶつけられないような仕組みが民主主義国家にとっていかに危険であるかを気づかないふりをしつづけているために、実際には批判精神を軸にしたマスコミの本来の精神を抜きにして、まあまあそれらしいことを、上辺を飾る程度のニュースや記事をだらだらと垂れ流している体たらくです。
 それどころか、積極的に権力側に加担する姿勢がここへきてますます露骨になり、政府の広報のごとき、情けないにも程がある、そのくせ報道陣気取りだけは一人前の連中が集まって、馴れ合いのまた馴れ合いの連続という恥知らずな形で、それらしい体裁を繕っているのですが、しかし、このありさまでは、いざ戦争への突入が決まった際にも、そして戦闘が本格化の一途を辿ることになったときでも、先の戦争とまったく同じように、国家のお先棒を担ぐ役割を果たすことになるのでしょう。
 ちなみに、昭和天皇が死んだときの、左寄りと称される大新聞の記事を読んだとき、情緒的一色に塗りつぶされた内容に仰天し、これでは右翼の新聞のほうがまだましではないかと思われ、もはやこの国の自浄能力など皆無に等しいことを悟ったものです。右翼の一部の者が、この新聞社を散弾銃で襲撃し、犠牲者も出て、今もなお未解決の事件になっているのですが、それにしても、私に言わせれば、かれらは自分たちの仲間を血祭りにあげたことになるのです。どうしてかれらは、広い意味において味方である者たちの命を奪ったりしなければならなかったのでしょうか。この国においては、左翼と同様、右翼もまた、ろくに考えもしないで、上辺を飾り立てるだけで満足なのでしょうか。