特定少数の、結局は自分たちが得ている〈いい思い〉を永続化に持ちこもうと企む、私利私欲のかたまりでしかない国家の支配者たちが最も恐れていることは、その座を失うことであり、つまりは民衆の蜂起であり、暴動であり、他国からの侵略であり、自然災害がもたらす大混乱などであるのですが、とりあえずは国民のあいだに浸透し、蓄積してゆく、もやもやとした不満や憤懣の爆発で、それをガス抜き政策によって解消させるために、ああでもないこうでもないと、次から次へとあこぎな手口を思いつくのですが、危険ドラッグとやらの数十倍、いや、数百倍もの悪影響を及ぼす酒類を野放しにしておくこともそのひとつで、また、宝くじもそのひとつで、競馬や競輪や競艇やパチンコといった賭博の公認も然りで、しかし、それだけでは物足りなさを覚えたのか、あるいは、もっと税収を上げたいのか、あるいはまた、新たなる利権の道具を欲したのか、おそらくはその全部なのでしょう、ここへきて賭博場の開設を容認しようという動きを見せ、その方向で世論を操作しています。
 射幸心を煽る政策は、どうあがいてみたところで、資本主義が隅々までがちがちに固まってしまい、一般人がそこでのし上がることなど絶対無理だと悟り、自暴自棄になり、その不満をようやく国家にぶつけようかという考えに傾きかけたとき、「いや、待て。一攫千金の夢はまだあるのだ。のし上がれるチャンスは残されている。だから、ここは自由の国なんだ」と、そう錯覚させるための切り札として、生産性とは真逆の、依存症にやられて身の破滅を招く者の数を増やすだけの、不健全極まりない遊びをはびこらせようとしているのですが、これは国家の衰退と風紀の退廃に拍車をかけるだけのことでしょう。