久しい以前、「まだ見ぬ書き手へ」と題して、これから純文学作家をめざそうとする者たちへの一冊を物したが、しかし、あれからわが国の文学の状況はさらに悪い意味における変化を迎えており、あれしきのアドバイスでは到底おっつかないと悟り、この場を利用して、今度は「本気で本物をめざす書き手へ」と称し、新たに書き下ろすことにしました。
 とはいえ、ほとんど絶望的な、これのいったいどこが文学で、どこが小説なのかという、あまりに情けない、いかなる警告も無意味と徒労に終わりそうな、重苦しく、呆れ果てた雰囲気のなかで、私の言葉がどれほどの意味を持つのかはなはだ疑問なのですが、しかし、誰かが言うべきことをしっかりと言っておく必要があり、匙を投げて、おのれの世界に没頭する手もあると承知しながら、余計なお世話とわかっていながら、それでも、ほとんど手つかずの文学の素晴らしい鉱脈が無限に残っているのですから、そこを掘ってもらうための次世代の書き手の登場を願わずにはいられません。
 もしあなたが、文学に関心があれ、または無関心であれ、ともかく、ためしに文芸誌なるものを、店頭での立ち読みでけっこうですから、そこに掲載されている文芸作品なるものに、ざっと目を通してみてください。どうでしょうか。果たして文章を用いた芸術いう印象を受けたでしょうか。内容はわかっても、作文に毛が生えた程度というか、ちょっとていねいに描いた脚本というか、そのあまりの稚拙さに呆れ果てたとすれば、あなたの眼力はまともで、審美眼は正常という何よりの証拠です。
 説明的な分だけ不自然な会話、同じく説明的で感動の驚きなどどこにも感じられない、ありきたりな地の文。そうです、こんな代物が文芸作品として罷り通っているのです。