娯楽の数が極端に少ない時代に生まれ、また、活字が異様なまでに信奉されていた時代に生まれた文学は、異常なまでのもてはやされ方をし、本も雑誌も出せば売れるという常軌を逸した全盛期を迎え、その間に関係者の数は増えつづけ、ということは、才能などかけらも持たずに入ってくる者が大半を占めてしまい、なんでもかんでも売れに売れるという現実に呑みこまれ、ほかのことなどどうでもよくなり、いつしかそこに日本的な派閥が生じ、社会的な出世の道が刻みこまれ、巨匠や大御所といった存在が登場し、国家権力と密接に結びついた名誉に毒され、みるみるうちに既得権益の世界が固まって、いつしかそれがすべてということになったのです。
 ために、当然の結果として、あるいは当然の報いとして、芸術の精神からどんどん離れて行き、文学どころではなくなってしまい、単なる小説、台本をちょっと丁寧に書いただけの代物というレベル以上のものではなくなり、また、関係者もその価値観を絶対的なものとして信じこみ、それ以外をけっして望まず、文学などとはとても言えない代物を文学の高みに位置づけ、「文学は永遠なり」というまったく根拠のない言葉にあぐらをかいて、わが世の春を謳歌しつづけたのです。そんなふざけた、紛い物だらけの時代が長くつづくわけがありません。ほかの娯楽の台頭につれて、とりわけ視覚や聴覚をもろに刺激される、文字をいちいち頭のなかで組み立て直す必要のないジャンルの勃興に伴って、活字の世界はみるみる片隅に追いやられてゆき、話題性のみに頼った、偽りの新人を登場させることによって、どうにか勢いを盛り返すといった姑息な手段を取りつづけてはみたものの、所詮、そんなことは一時凌ぎでしかなく、落下の勢いは増すばかりなのです。