要するに、文学のこうした衰退と減退は自明の理ということであり、なるべくしてなった必然ということであって、驚くに値しないどころか、嘆くにも値しないのです。関係者たちはそのことについて、大げさで芝居がかった慨嘆を演じてみせ、〈活字離れ〉などという優越的な物言いでもって自分たちの反省の機会を曖昧にしようとしていますが、しかし、実際はそうではなく、あれしきのものがあれほどまでにもてはやされたこと自体がそもそも間違いで、結局は時代の波に乗ったというだけの流行りもの以外の何ものでもなく、むしろ、真の芸術作品と呼べる真っ当な作品を世に出しつづけることによって真の読者を育むことを怠るという、目先の欲をかいた罰としての自業自得であり、それを「文学が死んだ」という言い方で問題をすり替えるのはとんでもない間違いなのです。
 文学は死んでいません。死んだのは、文学のふりをしながらぼろ儲けを狙った文学関係者たちなのです。とりわけわが国において、偽札を刷りつづけているのと大差ないあこぎな商売をくり返してきた大手出版社は、ここに至って絶体絶命の窮地を迎え、それでも出版社としての在り方を根本から見直そうという気持ちはさらさらなく、「夢よ、もう一度」の方針以外には考えられず、幻と化して久しい文学賞の偽りの権威に惑わされてついつい買ってしまう、自分がないにも程がある日本人の弱みにつけこんだ商売に一縷の望みをつなぎ、あるいは、一時の話題性に彩られた際物を出すことによって、これまで通りの収入を維持しようと悪あがきをしているのですが、当然、そんな愚かな商売が復活するはずもなく、赤字の増大を防ぎ切れず、社内留保を取り崩しても追いつかなくなり、編集の才能など初めから持ち合わせていない社員の頭ではどうにもならず、今や風前の灯なのです。