商売的に大成功をおさめていた出版の世界ですが、当時どんな状況にあったかと言いますと、それはもう話にもならない体たらくで、ともあれ関係者はどんちゃん騒ぎのまっただ中に身を置いており、銀座の高級クラブが会議室のようなもので、編集者と作家と評論家が毎晩のように集まって、べたべたした、おぞましい関係を構築し、芸術家にあるまじき社会的出世、つまり、国家権力が取りこむために投げつけてくる、文化勲章だの、芸術院会員だのという餌にありつくための算段と駆け引きに余年がなかったのです。編集者といえどもサラリーマンであるからには、その人生の最終目標を社内における出世に定めるのは当然なのですが、しかし、編集者という職業は、本当の意味において芸術や創作に携わるという特殊な仕事なのですから、その辺りの価値観が一般の勤め人とまったく同じというのでは、そこまで凡俗というのでは、寂しい限りなのですが、事実は、お役人の世界と同等か、あるいはそれ以上のえげつない出世主義が蔓延り、罷り通っているのです。
 それが現実です。編集者の出世を決定づけるのは、担当の作家がベストセラーを出すか、さもなければ、その作家がいわゆる下世話な出世街道を順調に歩みつづけるかどうかにかかっているのです。要するに、作家は編集者の出世の鍵であり、小道具であるということになります。ですから、作品の質などどうでもかまいません。また、文学への真の理解が欠落していても、いいのです。文学ではなく、文壇の力関係さえしっかり把握していれば、そしてそこを巧みに泳いで、売れる書き手や、文化勲章や芸術院会員になれそうな書き手にへばりついていれば、それで充分なのです。そして、そのためとあれば、どんな屈辱にさえ甘んじる、底なしの恥知らずであることが重要なのです。