かくして文学はとんでもない方向へ、というか反文学、反芸術の道を転がり落ちることに相なり、しかし、当事者たちにその自覚や意識はいっさいなく、すでにしておのれの魂が腐り果てていて、普通の人間として誇りや自尊心さえも失っており、やっつけ仕事が横行し、レベルが低過ぎる、普通の文章を読むのがやっとの、ナルシシズムをくすぐってもらえるのならばいかに見え見えの嘘でも貪るような読者に辛うじて支えながら、それでもなお、自分は日本文学の一端を担い、寄与している名編集者の一員なのだという、誤った意識を持ちつづけ、汚れきった世界を泳いでいるうちに真っ当であるべき神経が麻痺し、目先の仕事をこなしつづけることにこそ意味と意義があるのだと自分に言い聞かせ、その間に心や精神はおろか、魂さえもぼろぼろになってゆき、定年退職を迎えたときには、やるべきことをやり遂げたという満足感と達成感に浸り、その人生をふり返るために、おのれがいかに優秀な編集者であったかを世に知らしめようと、自慢気な回顧録に似た自伝の本を出し、あの作家は自分が世に送り出しただの、あの作家には可愛がられただの、あの作家には殴られただのという、その程度の他愛ないエピソードを綴って、人生の締めくくりとするのですが、それだけでも滑稽で痛ましいというのに、なかには、退職後もなおお祭り騒ぎの陶酔の余韻を引きずらんとして、すでに誰も相手にしない過去の立場と肩書を、水戸黄門の印籠のように振りかざしながら、なんとか元の世界に首を突っ込もうとあがく者もいて、その姿ときたら、もちろんぶざまではあるのですが、それ以前に思うことは、こういう人たちが文学を真の文学へと進めるための妨げになってきたのだという歴然たる事実であり、残念ながらかれらの後輩たちもその道を踏襲しているありさまなのです。