親がかりの身である学生という立場ではなく、高卒の勤め人という社会的には圧殺されやすい立場から、つまり、ある程度、世の中の仕組みやら社会の矛盾やらを理解できる世間の片隅から、この文学の世界に入ってきた私としては、それまでさほど小説に関心があったわけではなく、むしろ蔑視の対象でさえあったために、勤め先が倒産の憂き目に遭ったせいで、急遽転職を余儀なくされ、思い余ってというか、ほとんど発作的に、元手をまったく必要としない自由業はこれしかないと決めて、いきなり小説なるものに手を染め、勤務中に、会社の原稿用紙と水性ボールペンを使って書き始めたのですが、既存の文学の垢にまみれていないことが幸いして、何をどう書いたらいいのかという、つまり、テーマは普遍的なものであって、しかも、安っぽい憧れいっぱい、夢いっぱいの恋愛などではなく、人間にとって最も基本となる重い主題を真正面に据え、文芸というからには言葉の芸術なのですから、それにふさわしい文章や文体を用意すべきだということは、最初からよくよくわかっていたのです。要するに、自分が酔い痴れたいためにペンを執るなどという、恥ずかしい限りのナルシシズムからは真逆のスタンスで、むしろ、そこにこそ手つかずの素晴らしい鉱脈が眠っていると直観していたからこそ、その気になったのでしょう。ところが、驚くべきことに、文学の世界へ足を踏み入れてみて、すぐに感じたのは、その大方が、というより、全体が、私が予想していた以上に、呆れ返るほどの無邪気で、無邪気な分だけ異様なナルシシズムに毒されていて、むしろ、それあしでは成立しないほどにまでの重症が蔓延していたのです。このありさまには愕然とし、こんな稚拙なものを文学と称しているのかと呆れ返り、自分のいる世界ではないとすぐに悟ったのです。