この国の芸術を最悪のものにし、しかも、芸術とは呼べないものにしているのは、芸術家を自称しているにもかかわらず、国家権力におもねていることです。これはあるまじき姿勢であって、ほとんど致命的な欠陥なのです。芸術家精神を最も簡単な言い回しで表現するならば、「アナーキーなロマン派」ということになるでしょう。つまり、真っ当な人間としてこの世に在るためには、個人の自由をどこまで追求できるかという命題を背負って生きるかどうかに、芸術家としてのすべてがかかっているというわけです。これなくして芸術は成立しません。よしんば、ものした作品がかなり高度な出来であっても、国家のお墨付きに色目を使った途端に、そうではないものに、唾棄すべき下劣な代物に成り下がってしまいます。結局、芸術とは生き方そのもののことなのです。人間としての欠点や欠陥をごっそり背負いながらも、そうではない方向でなんとか生きようとするそのあがきこそが、芸術家を芸術家たらしめるための必要不可欠な要素であり、そこから飛び散る火花を表現することこそが芸術作品なのです。
 それがどうしたことでしょう。権力と権威が大好きな芸術家が大手を振ってまかり通っているこの国の大先生たちの神経たるや、いったいどうなっているのでしょうか。選考委員でまずはたらい回しにする文学賞のあれこれはまだしも、文化勲章や、人間国宝や、芸術院会員といった、国家が芸術の地位を権力の下に置きたがるためのお墨付きなんぞをありがたく頂戴し、それで事足れりとするような、あまりにも貧相な価値観にしがみついて離れない者が、どうして芸術家なのでしょうか。人生の狙いがそんな低俗なところであった者が、大芸術家面をするのを見るにつけ、情けない思いが募ります。