それでも、権力好き、権威好きの、芸術家もどきたちがものする作品が、これはと思わせるほどの、魂をはっとさせるほどの力を持っているというならば、いくらか気も休まるのですが、しかし、案の定というか、やっぱりというか、かれらの作品はお粗末に過ぎ、これが大のおとなが創作したものなのかと、今頃の小娘だってこんな小説は書かないだろうと思えるような代物で、そのほとんどが安っぽいナルシシズムの変形を、ありふれた地の文と説明的な会話と幼稚な美学のみで成立させてしまっている、作文に毛が生えた程度なのです。しかし、全体のレベルが低ければ、そうした作品でも突出しているということになってしまい、確かに新人賞などに応募してくる作品は、かれら以下であり、ために、結果としてかれらが目に立つことになります。
 大御所やベテランの書き手の作品がその程度の代物なのですから、そしてかれらが文学の世界を牛耳っているというわけなのですから、その世界をめざす者たちの性根もまた推して知るべしというもので、かれらに倣うことしか念頭になく、ということは、芸術家精神など最初から欠落した、文学でも利用して社会的な出世を望み、世俗的な名声と金を得ることのみが狙いの、できれば遊んで暮らしたいと願っている、それが粋な人生の過ごし方であり、風流の極みであると決めつけている、落ちこぼれのなれの果ての、最低の輩なのですが、よくしたもので、既成の芸術世界がそれで成り立っているために、誰も違和感を抱かず、信じ切って飛びこみ、運次第でかれらの仲間に迎え入れてもらえることができ、その世界で上手く立ち回ることができれば、かれらの後釜を狙える位置に就くことも可能で、芸術院会員も、文化勲章も夢ではないのです。