本がたくさん売れるという、商売としては甚だ魅力的な出版業も、その黄金時代は関係者が思いこんでいたほど長つづきせず、ましてや永遠の芸術にはほど遠く、娯楽の少ない時代にその穴埋めをしてくれたという、その程度の軽薄な代物でしかなく、経済的繁栄と科学の発達によって、あらぬ夢と憧れを貪るしかない、何もなかった時代が遠のくと、つまり、ビジュアルの文化が台頭してくると、それしきのやっつけ作品や、劣等意識の裏返しでしかない憧れが見え見えの、ために、むしろ読んでいる途中で滑稽に感じ、作者のお粗末な憧憬が悲しく思えてしまう文学なるものが、馬鹿馬鹿しくなり、映像によってがっちりと補強されたナルシシズムへと流れて行ってしまい、あとに残った読み手は、稚拙であればあるほどそのナルシシズムにのめり込んでゆく、自己逃避型、現実逃避型の異常にして異様な者だけとなったのです。
 要するに、これまでの文学と称するものは、よくよく好意的に解釈してみたところでせいぜい小説らしきものでしかなく、真の文学に期待して近づいてきた真っ当な読み手はたちまちにして背を向け、この程度のものが文学であるならば無用とばかりに、他の芸術へと心を移したのです。しかし、関係者たちにその自覚はいっさいなく、それどころか、ひとたびそんなことを認めてしまったら、これまで自分たちがやってきたことを全否定することになるために、その言い訳として、〈活字離れの時代〉をさかんに口にするようになり、文学を読まなくなったのは、新しい世代が愚かになったせいだとか、心が貧弱になったからだというような、優越感の上に立った指摘をもって衰退の弁解とするようになったのですが、実際には真の小説でも真の文学でもなかったからそっぽを向かれただけなのです。