ひいばあちゃん | 正道の日本一周ブログ

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2015年4月から入学式後すぐに休学して日本一周の旅に出る!
旅の目的は「みんなの毎日の楽しみになる」です!
このブログが、みんなの毎日の楽しみになればと思います!


どーも!
正道です!


現在、実家から京都へ行ってます。
高速はどこも渋滞ですね~。

今は渋滞から逃れ六甲山を走ってます(笑)



①帰省

②ひいばあちゃん

③その目には一体、どのように世界がうつっているのだろう。

④出来るなら、、毎日会いたい




①帰省


GWということで、実家に帰省しました。

京都、奈良にいる親戚の方々の車に乗せてもらい、実家のある広島に帰省しました。



途中見た神戸市の景色
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懐かしのポートタワーが近くにあるサービスエリアで

神戸名物プリンソフトクリーム
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カラメルソースが美味しい!

ソフトクリームは普通!笑ちょっと微妙!


★★★☆☆三ツ星

です!


久しぶりにソフトクリームミシュランした気がする



そして数時間の車移動の元


実家近くにやってきました
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なんか目の前に変な山が見える…
あんなのあったっけ




②ひいばあちゃん


実家に帰省した理由は

ひいばあちゃんの調子が悪くなったからです。


ひいばあちゃんは、今年94歳。



僕が、実家から出て、浪人し、
浪人が終わると

元気だったひいばあちゃんは、ベッドに寝ていました。


そして日本一周の途中に寄った時は

老人ホームにいました。



日本一周から帰った後は…


病院にいました。



現在も病院にいます。





先日骨折してしまい、手術をして無事成功。


一時は物を口に出来ない状態になり、
現在は、少し食べるようになっていましたが、


もう、長くないかも、しれない


と思い

実家への帰省を決意しました。



③その目には一体、どのように世界がうつっているのだろう


帰省し、
真っ先に親戚一同でひいばあちゃんのいる病院へ






先月末にも会いましたが、

その時よりも…。



しかし、そこには

今なお

生きようとしている姿があった


しわだらけの体。
カサカサの唇。
ベッドからほとんど動けないその姿から


意外にも

僕には、「まだ生きる」そう訴えてるような気がした。


その様子を見て少し安心した。








声は聞こえてるようで、目も見えてる様子。

しかし入れ歯が外されていて、中々声が聞き取れない。



ひいばあちゃんの左目は…半分閉じて、
「見えないのではないか」と思わせる見た目をしていました。



ひいばあちゃんには、この世界がどう映るのだろう。


カーテンの外の景色も見えず、ベッドの上で1日を終えていく。

今のひいばあちゃんは、何を思って、何を考えて日々を過ごしているのだろう。


病院の部屋というのは面白みがない。

こんな部屋で毎日壁や、照明を見ているだけの生活は生きる気力がなくなってきそうだ。



僕がひいばあちゃんと同じ立場だったら、どんな気分だろう。


ひいばあちゃんを見つめながらそんなことを考えていた。



弱った手を握りながら、耳元で声をかける。


ひいばあちゃんの目からは涙が溢れていた。



晩御飯が来たので、その日の夜はひいばあちゃんとお別れをした。

親戚一同、思っよりも弱っていたひいばあちゃんに言葉も出ない様子だった。



④出来るなら毎日会いたい



次の日の朝もお見舞いに行った。


ひいばあちゃんは、入れ歯がなくて喋りにくい中

「夢かと思った」

と僕らに告げた。


そしてまた涙を一滴流すのだ。



関西から帰省した僕らは

ひいばあちゃんの息子、孫、ひ孫…と、みんな大集合だから夢かと思うのも無理はない。


昨日よりは元気で、僕の手を握ると手を小刻みに振ってくれた

入れ歯がないので中々会話をするのが難しいが、ひいばあちゃんと話せるだけで嬉しかった。


こうして、満足に話せなくなると


あぁ、もっと話しておけば良かったな。

あぁ、ひいばあちゃんが家にいるうちにもっとひいばあちゃんの側にいたかったな。


と後悔が押し寄せる。


高校3年間はひいばあちゃんもすぐそばで暮らしていたのだ。

なんであの時もっとひいばあちゃんの所へ行かなかったのか。



後悔してももう遅い。



ひいばあちゃんともっと話したいし、側にいたかった。

できるなら、毎日ひいばあちゃんの側にいたい

そう思うほどだった。



この狭くて閉鎖的な病室には面白さが何もない。
せめてひ孫の僕が側にいるだけでもひいばあちゃんは喜ぶのではないか。


僕は今日京都に帰るのである。


次広島に帰るのは早くて夏休み。


8月~9月。


「みんなひいばあちゃんのこと大好きだから、また絶対会いに来るから、
だからひいばあちゃんも元気でいてね」


そう言い残してお別れをした。


僕は正直帰りたくなかった。


だからなのか


「またね」


とひいばあちゃんに行っては、去らずに手を握り、

手を振って去ったと思ったら、やっぱりまた病室へ戻った。


最後もみんなが帰ってく中、やっぱり別れたくなくて、1人戻って
ひいばあちゃんを抱きしめた。


すると
ひいばあちゃんも

先程までの僕らの「またね」にはただ涙を流すのみだったが、


抱きしめた時に、

入れ歯がなくて、話しにくい中、ガラガラの声を振り絞って

「またね」

と呟いてくれた。



ひいばあちゃんから

「またね」

が聞けて本当に嬉しかった。

ひいばあちゃんは、また会うつもりだ。まだ死なない。


その言葉からひいばあちゃんの生きる意思を感じた。



名残惜しい中、手を振ってお別れをした。


エレベーターで下に一階へと向かっていくが、


溢れ出る涙を堪えるのでいっぱいだった。


ひいばあちゃんの隣でも、何度涙をこらえたことか。



元気でカラオケを歌っていた89歳。

そんな自慢のひいばあちゃんが、あれ程短期間で弱ってしまったのだ。

一時はもう長くないかも

と家族が言ったほどだ。


人の死というものは、本当に悲しい。


死んでしまったら、もう、抱きしめても、手を握っても、声をかけても

返ってこないのだ。



 ひいばあちゃんにお別れをして、故郷広島を去った。




帰りに、渋滞の山陽道を避けて、六甲山を走ったが
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見事な夜景だった。
iPhoneではうまく写らない…


そして現在、無事自宅へと戻ってきました。


明日からまた大学です。
頑張ります。


ではまた明日!




○今日のブラボー
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まだ怪我したお尻を舐めてしまうらしく
それを防ぐために頭につけてました( ̄ー ̄)。

久しぶりに会ったら俺のこと忘れたのかな?

すっごくスリスリして匂いつけてました( ̄ー ̄)