茨木のり子さんの詩、

「ギラリと光るダイヤのような日」に、

こんな一節がある。

 

世界に別れを告げる日
人は一生をふりかえって
自分が本当に生きた日が
あまりにも少なかったことに驚くであろう。

 

指折り数えるほどしかない
その日々のなかのひとつには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう。

 

僕はどれくらい

本当に生きた日があっただろうか。

それこそ指折り数えるほどの

幾日かしかなかったかもしれない。

ただ、人とは違う道を随分と歩いてきた。

苦難や逆境、修羅場も、数多く経験した。

もちろん、それは自分が望んだ道だ。

 

自分が望んだ道とは、

自分らしく生きた日々でもある。

そう考えると、

僕は人より、本当に生きた日が、

多いのかもしれない。

失敗ばかり、失ってばかりであったが。

 

この世界は不公平なもの、

神様なんていないと知ったときから、

僕は虚無に生きているように思う。

人の一生なんて、驚くほど短いものだ。

自分らしく生きる日々は、

またやってくるのかな。

まだ僕は、それを望んでいる。

 

「俺は最後まで、醜く足掻いたぞ」

って、デンケンも言っているし

(葬送のフリーレンより)。