誕生日を祝う | 鈴の音

誕生日を祝う

東京から大阪移り住みグループホームの寮母をしています。

アシュタンガヨガ正式指導者レベル2資格を持ち、東京でアシュタンガヨガの指導をしていましたが、コロナの影響もありしなやかに自分らしく生きる為に、今ここにいます。



知的障害を持つユニークで愉快な仲間たちと一軒家で暮らしています。その1人が誕生日を迎えます。今まで誕生日パーティーなどをしてこなかったという話を聞いていたので、少しでも誕生日気分を味わって欲しいと思いました。

有難い事に会社が誕生日ケーキを準備をして下さり会社でお祝いをしてくれます。温かい心遣いです。


グループホームでも何か出来ないかを考え、事前に何が欲しいかを聞いてみました。鬼滅の刃の煉獄さんのフィギュアが欲しいと。それを買ってあげるべきかも正直迷いました。でも、自分が好きなものを受け入れられる事、自分自身を肯定してもらえる事が必要に思えたんです。

私もアニメや漫画が好きですしデレデレ


週末で家に彼らが帰った時に少しづつ飾りつけの準備をしました。私は創作は苦ではないです。夜な夜な部屋で準備をして、買い物に行ってデコレーションを買いました。






愛情をかけられる。

愛情を浴びる。

無条件の愛情。

それが不足すると自分を肯定出来ないと思うのです。無条件に与えられるエネルギーが心を安定させると思うのです。


でも、それが欠乏していたり、伝わってなかったり、そうすると自己肯定感が持てない。与えられてきたからこそ、自分にも他者にも与えられる。受けた事ならば表現出来るが、受け取ってないと表現出来ないんですよね。渇望には与え続ける事。それしかないように思う。



自分で自分を愛し育む為には、糧(エネルギー)が必要です


ちゃんと愛情を受けたら自然に出来る事かもしれないけど、受け取る受皿がなかったり(感じ取れない)、実際に貰えなかったりしたら、自分から愛情や慈しみを生み出せない。


与え潤す。。。


私自身も同じような問題を抱えている。だからこそ気づきだとも言える。時々、私自身の傷にも触れる。だからこそ諦めたくない。そう、私の救済の為にも。


自分に負担になりすぎないように、パーティーの準備を進めた。出来る範囲でお部屋を華やかにした。でも、わかってる。思い描くような期待を持ちすぎないように。




期待を持たないと思っていても喜ぶ姿を期待してしまう。でも、イマイチでもガッカリしないように心に予防線を張っていた。



当日、デコレーションを見た時。。。

無反応真顔うん。想定内や。

テンション高めでアプローチするも「私は驚きませんよ」と言われショボーン笑い泣きそれでも「ありがとうございます」て言ってくれ、楽しそうに写真を撮った。盛り上がってはいないけど、いつもよりは特別な夕食をした。


プレゼントには大興奮ですごく嬉しそうだったハート彼女が大好きなキャラクターの絵を描いたバックとフィギュア。





自分の事を想ってくれている人がいるって事が伝わったらいいと思う。自分が期待してしまっていた反応ではなかったけど、少しでも伝わってくれたらいい。そういう意味で私は良しとしたドキドキ


砂漠に水を撒くような気分。

たくさん水を与えて

あぁ、芽が出たと思ったら

花が咲く前に枯れてしまう。

無意味に思えるけど、それほどに欠乏していたのだと、奮い立たせる。



続く。。。。