88歳でした。
色々と祖父との思い出を思い返しながら数日過ごしてたけど、ふと思い出した中で一つアレが。
自分の祖父は全く関係ないのだが(笑)
それは、あいぽんの爺ちゃんが亡くなった時のこと。確か2012年の寒い冬で、『空からの私信』とか雪の事言ってたの覚えてる。
容体悪くなったのがワンマンの日だったから握手言った時に爺ちゃん危篤みたいな事こっそり言ってて凄く驚いたのも覚えてる。
今見たらどう感じるのかわからんけど、あの時の自分には根岸さんは普通にフライトしてるように見えたから。
ブログにも何てコメントしたんだっけなー?って思ったら
わからなかった←
多分Twitterの鍵とか見えないところで、ちゃんと返してた気がするけど。
で、このコメントしてる翌日がワンマンで使い切れなかった握手券の振り替えの日。事務所での。
その時貰ったこれは、貰い方も今じゃあまり考えられないかもだったし、根岸物の保管が適当な僕でも(←)大事に残してあります。
些細な物だけど自分にとっては大切な物だから
この時に限らないけど、この辺の時って本当に何かもろかったなって。すぐ壊れちゃいそうなそんな感じ。
でも、今は本当に強くなって、顔に出さないのも上手くなった。
根は変わらないけど、色々な意味で大人になったなって思う事がとても多い。それを意識的にやってるのかどうかは知らん←
まぁ、そんな訳であの時のことをふと思い出したりしたわけですわ。
自分はあの時のあいぽんみたいに人に誇れる立派な何かを成していないし、ひ孫の姿も見せれなかった訳で、本当に申し訳なさでいっぱいだった。
呆れられても文句も言えない。
幸か不幸か、祖父の亡くなった流れで気を使ってくれた上司が福岡の日も翌日も休みをもらえて、福岡は本当に無理しなくても行ける事になった。
それは祖父からの最後のプレゼントな気がした。
いっぱい遊んでもらって、ゲームもたくさん買ってもらったし、お小遣いもガキの頃はいっぱい貰った。
俺が困った時はいつでも何とかしてくれてた。
貰ってばかりだったのに、あの人は最後にまでもプレゼントを残していきやがった。
通夜の後の最後の一晩を祖父と二人きりで斎場で過ごした。ずっと同じ屋根の下で暮らしてたけど、あんな風に二人きりで過ごすのはいつぶりだったか。
棺に入ってる祖父はまるでスヤスヤと寝ているかのよう。とても亡くなってるようには見えなかった。
『行って来いよ』
って、微笑んでるようにさえ見えた。
行っても大丈夫な "時間" という名の最後の爺ちゃんからのプレゼント。
たまたまカバンに根岸愛の写真が入っていたので、せっかくだから(誰もいないし)、その寝ているかのような祖父に写真を見せましたww
正直言って、PASSPO☆さんに使う時間が無ければきっと自分は結婚してたと思うし、もしかしたら、子供も出来てて、祖父に見せる事も出来たかもしれない。そういう人生にもなってたかもしれない。それは誰にもわからない。
でも、祖父が生きてる間においては、自分が選んだ道は根岸愛という名のアイドルと共に楽しく生きる道でした。
アイドルが一番大切な存在ってのホント笑えるけど、実際に一番大切な存在だから最後に見せた。普段は恥ずかしいから基本ツンケンしてる訳なんだけど(^ω^;)w
まぁ、写真でしか会わせられないけど、何となく見せた(笑)
爺は笑ってる気がしたよw
だから、福岡は行く。
楽しみに行く。
後ろめたい気持ちは一切もたずに行く。
せっかくもらった時間だから、大切にして楽しもうと思います(*´ー`*)
何かの呪い(?)からも928で解放されたお陰か、最近は本当にただ純粋に現場が楽しいです。
爺ちゃん、30年間お世話になりました。
ガン辛かったと思うし、暫くゆっくり休んで下さい。婆ちゃんは俺達に任せて。
ありがとうございました。