『かぐや姫の物語』感想。絵が動くという感動。 | まじさんの映画自由研究帳

まじさんの映画自由研究帳

映画とお酒と手品が好きです。
このブログは、主観100%の映画レビューです。
時々、ネタバレあります。
Twitterやってます。☞@mazy_3
※コメント歓迎ですが、内容に一切触れないコピペコメントは、貼らないでください。

{B3B7BB6A-1E91-4CD6-9200-4308D5292632:01}
高畑勲監督が『竹取物語』を独自の解釈で10年の歳月をかけて描いた渾身の芸術作品。

アニメーションが連続する絵画である事を思い出させ、人の描いた絵が動くと言う感動を改めて実感させてくれた。生まれて初めてアニメを観た子供のように「ねぇ、絵が動いてるよ!」って、誰かに教えたくなる。背景とキャラクターが完全に一体となった美しい絵に、木洩れ陽の影を入れると言う表現が、更に奥行きのある画面を構成している。力強い絵でありながら、優しさに満ちている。赤子の泣く歪んだ顔が、高畑勲の顔にそっくりになるのが微笑ましい。そして、予告でも観たあの、姫が疾走するシーンに鳥肌が立つほどのエネルギーを感じた。

プロ声優を嫌うジブリが、今回、アフレコではなく、プレスコを選んだのは正しい選択だと思う。高畑勲はプレスコを好む監督だ。俳優は自由なテンポでセリフを語り、演技を活かす事ができるからだ。絵にセリフを合わせるのではなく、絵がセリフに合わせるのだ。アフレコは演技以上に、絵にセリフを乗せる特殊技能が必要となる。プロの声優を使わないのであれば、プレスコは最も適した手法である。そのため、棒読みが無くなり、俳優は演技に集中でき、生きたセリフを引き出した。

音楽も全てにおいて素晴らしかった。古典楽器を使ってはいるが、あえて現代的なメロディを奏でている事で、現代的なテーマをより明確に示している。特に姫を迎えに来る天人たちの楽しげな音楽が、なんと残酷な事だろうか!恐ろしさに打ち震えた。曲調は違えど『パプリカ』のパレードで奏でる平沢進の音楽を思い出した。過度の陽気は狂気を感じ、恐怖を呼び覚ます。久石譲の音楽にこれほどまでのパワーを感じたのは久しぶりだ。『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』のサントラを越えんばかりの名曲である。

誰もが知っているかぐや姫の物語を描きながら、独自の解釈で御伽噺を現代的価値観へと落とし込む事に成功している。不思議な御伽噺の輪郭をなぞる様な原作に対して、本作では登場人物たちの内面から描くという逆側からのアプローチをしている。主人公である姫は高畑勲好みの強い女性だ。それはナウシカやハイジを彷彿とさせる。草木や虫を愛し、自然への愛は彼の普遍的テーマなのだろう。そして翁との幸せの価値観のズレが取り返しのつかない不幸を呼ぶ。

そして、かぐや姫が犯した罪。それは、一瞬でもこの世を呪った事ではないだろうか?素晴らしい世界が広がっているのに、己の不幸をこの世のせいにした。それこそが罪なのだ。この世ので罪を犯し、天上の罪が許されこの世を離れなければならなくなる。このクロスポイントが切ない。最後に一度だけ山に戻り、捨丸との交流が、唯一の救いとなる。
自分の記憶がなくなっても、彼は竹の子が生きた証を忘れないだろう。

高畑勲の集大成とも言うべきこの作品は、とてつもない予算をかけて作られた。アニメ作品では回収は不可能とまで言われている。だが、ジブリは赤字覚悟でこの作品を作り上げた。製作側からすれば正気の沙汰ではない。だが、芸術とは採算だけでは生まれない。この映画を完成させたジブリにの心意気に、頭が下がる思いだ。



かぐや姫の物語 [DVD]☝︎[Blu-ray]