『47RONIN』感想。魔改造!剣と魔法の47次元忠臣蔵。 | まじさんの映画自由研究帳

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『47RONIN』は、忠臣蔵好きのオイラとしては期待値が高く、予告編を一度も見ずに鑑賞した一本である。そしてこの作品は、予想のナナメ上どころか、遥か上空を越えて応えてくれた!
これは「剣と魔法の47次元忠臣蔵」である!それはまるで、江戸末期に起こった赤穂浪士の仇討ち事件が遠く長崎まで聴こえ、出島の伴天連さんから遥かシルクロードを渡り、無数の人々を介した伝言ゲームによって南蛮に伝えられた、世にも奇妙なアメージングストーリー!
「東の果てのジパングで事件だってよ!知ってるか?」「あぁ、キングの為に仇を打った話だろ?でもKINGアーサーノはキラーを斬りつけた罪人なんだろ?」「いや、それもキラーの計略でキャッスルを奪われたらしいよ。それからプリンセスも奪われたって俺は聞いたぞ」「そりゃ、キラーはぶっ殺されて当然だな!…で、セップクって何だ?」「自分で腹を切るんだよ」「何で?」「罪を犯したからさ」「シット!そんなクレイジーな死刑があるのかよ!」「いや、名誉ある事らしいよ」「え?意味わかんねぇ」「それだけ勇気があるってのが、ブシドーなのさ」と、やってれば、きっとこんな話ができ上がるのではないだろうか。だいたい伝承とはそんなものである。まさに、日本の物語が南蛮に伝承されたような伝説が、この『47RONIN』なのである。
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海賊船で賑わう長崎の出島。

この映画では冒頭からモンハンみたいな鹿狩り(たぶんアレは麒麟…)から始まる。ここで我々は気付く。どうやらマトモな忠臣蔵を描く気はないらしい。こういう主張はとても助かる。そこは日本じゃなくて、東の涯の黄金の国ジパングなのだ!
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ジパングの一般的な風景。

こんなの忠臣蔵じゃない!と言ってしまえば簡単だが、他国が異国を描けば、おかしな点があるのは当然。そこは目くじらを立てずに見てみると、描いた側の文化が見えてくるから面白い。わからないものは、自分たちがわかるものに置き換えるのが、異文化コミュニケーションの基本だね!(^_-)-☆
ここで重要ななのは、置き換えられたものが、彼らに理解できなかった価値観であると言う点だ。

例えば、武士道は騎士道として置き換えられている。綱吉は将軍というより王だった。将軍はその力を示す為自らは江戸を出ず、大名たちに参勤交代を強いた。だが、この話では綱吉自らが馬に跨り、わざわざ赤穂くんだりまで訪問とかしちゃう。南蛮では王は自ら領主を訪問し、接待させる事で忠誠心を図り、その力を示した。南蛮では、封建社会と言えども根底が民主主義だから、動かぬ王は支持されないのだ。
吉良上野介に斬りかかる浅野内匠頭は、吉良の計略により仕組まれた妖術に操られていたという画期的な解釈により、浅野を絶対の無実としている。罵りによる屈辱が原因で刃傷に及ぶ行為は、絶対の正義とは呼べないからだ。
更には召し上げられた赤穂は吉良の領地となり、浅野の娘である姫まで吉良に娶られるというオマケ付きだ。これにより、吉良は絶対悪となる。
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吉良の城。

かくして浪士たちは、祝言の晩に討入る。単なる仇討ちだけではなく姫救出というオプションまで付けているのだ。

また、この世界の浪人は、驚くべき事に刀を持っていない。竹光すら差していないのである。浪人は本来、無職の侍である。それは仕える主君がないと言う、この上ない恥を意味するのだが、彼らにはそれだけでは伝わらないのであろう。この世界では浪人になると、住居を失い、刀まで奪われるという設定を付け足している。よって、討ち入り前に、天狗の試練を経て、魔剣を手に入れるというイベントが発生するのである。
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天狗様。

そして、住居がないので、決起するのはもちろん森の中!連判状を示す大石内蔵助の姿は、さながらロビン・フッドの様である。ここでは、浪士たちをアウトローのヒーローとして描いているのである。
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魔剣を構えるカイ。

かくして浪士たちは、吉良を倒し仇を討ち、魔剣で絶対悪の象徴である龍を倒して姫を救う、ドラゴンスレイヤーを見せているのだ。

確かに、浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけた罪で切腹し、殿の無念を晴らすため、家来である大石内蔵助率いる赤穂浪士が仇を討ち、本懐遂げて切腹するという、忠臣蔵のストーリーを大筋では周到している。だが、本来の魅力である過程が全く違うのである。おかると勘兵衛の魅力的な悲劇や、一力茶屋における大石の世間を欺く姿など、微塵も描かれていない。事件の発端と結果だけを見ている南蛮の即物的思想がよく表れている。忠臣蔵において重要なテーマは、その名の示す通り「忠義」である。だが『47RONIN』においては「ジャスティス!」なのである。勧善懲悪における南蛮との価値観の大きな隔たりを改めて知る事の出来る作品だった。まぁ、こういうのは、八犬伝とかでやればいいよと、正直、思ったりもしたw
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大石内蔵助と赤穂浪士。

と、ここまでは寛大なオイラも、海より広い心で微笑みを浮かべながら、文化の違いを楽しめていたのだが、ラストで…
「この物語は日本人の魂である」と締めくくられ…
…笑顔は消えた。
南蛮人に魔改造されたファンタジー忠臣蔵の責任を、最後の最後で我々日本人に丸投げされたのである!こんな屈辱はない!濡れ衣だ。我々は、辱めを受けたのである!
かくなる上はユニバーサルに討ち入って、監督カール・リンシュの首を大石内蔵助の墓前に捧げる事が、この映画に対する日本人としての最大限の返礼だろう。
さぁ、旗上げだー!
えい!えい!おー!! (•̀ロ•́)و