プロキュストは誰だ?② | メメントCの世界

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プロキュストは誰だ?②

いやはや
稽古は佳境も佳境です。
上演時間も二時間五分というベストタイム、別にマラソンじゃないんですけど。
しかしですなあ、私の書くものは長い長いと言われ続けて、こないだのパターは1時間20分
だから、随分と短く書くようになりましたね。自分で悦にいってどうするんでしょうね。


さて、プロキュストの稽古場、幅広い役者さんが参加しております。
おなじみの劇団BDPからは、小学生の漆原さんと中学生の広岡さん。二人とも、「リアの食卓」で、熱演してくれました。今日は、髪を結い江戸の娘達になりました。






ヒロインは13歳で庄屋の家に嫁に行きます。なんてまあ、理不尽な年齢でしょうね。
それが昔の当たり前、今のインドやアフリカでは13歳の結婚はあるのですが・・・正直、女性はどうにもならない宿命を背負わされていました。
パターチャーラーでもマヌの法典が出て来ましたが、
「女は男の従属物」「女は独立に値しない」「女は夫が性格が悪く悪人でもあがめろ」とか無茶苦茶なことが書いてあります。これの御蔭で、女大学なんて書物ができたんじゃないですか?

一つ、なんちゃら、とイチイチ、うるさい事が書いてあるこの女大学は、貝原さんという人が女性の嗜みとして書いたのですが余計なことをしてくれます。養生訓で有名な人ですが、健康オタクなだけでなく、女の一生を男の為に生きれば旨く行くとでも言いたいんでしょうね。ヘン!
私はバリバリのフェミニストというわけじゃないんですよ。
 この時代、シーボルトが日本女性と結婚して生まれたシーボルト稲さんなんかが、女医を目指していました。ここでも女のプロテストですね。でも農家の女性は子供を産んで嫁を貰って隠居してゴッドマザーになるまでは、男性の下にいるしかないのかもしれません。しかし、寡婦となった豪農の主婦はかなりすごい辣腕を振るう人がいました。
西村伊作の母方の実家は、山林王で財産家でした。それを管理し守ったのは、寡婦となった鶴ばあさんです。
話が飛んですみません。力をふるっても自分の好きなようにするのではなく、家財産を増やすように、倹約に努めて自分は楽はできないのです。そうやって家を守るのが女の勤め!ですね。
ああ、疲れる時代だ。


ヒロインのモデル、中山ミキは、13歳で嫁に入り、16歳頃には、大きな農家の家の切り盛り、奉公人の管理、など凡そほとんどの家政を担って凄い能力を発揮したそうです。なので、姑たちは早く隠居して助かった、と伝記にあります。
農家は女で持ってました。

この時代、いったい夫婦の姓はどうなっていたのか?
戸籍は人別帳というものに網羅されています。村に所属する家は、戸主を筆頭にして、名前と生まれ年、お寺が記されています。江戸時代、キリシタンを排除するために、全ての人民に檀家制度で所属するお寺を決め、そこの構成員として登録されました。マイナンバーはないけど、どこの家に所属する何某は何経である、ということを全て幕府は把握していたんです。
まあすごい制度を作ったものです。それで、結婚や移動は庄屋さんが全てそれを記録して、出かけたはずが帰って来ない若い人とかいると、訴え出たり、外出計画にある宿泊先に問いただしたそうでう。息がつまりますね。
なんでそんなにキリシタンを畏れたか?

理由は、天草四郎の乱です。江戸時代、カトリック勢力のスペイン・ポルトガルとプロテストのオランダが日本での貿易についてしのぎを削って居ました。そして徳川時代に、オランダ以外は全て邪教とされて追い払われたのです。
オランダの交易には宗教の普及は伴わないけれど、スペインヨーロッパのカトリック勢力、イエズス会はマカオに出張所をおいて日本へ攻勢を掛けて布教活動しました。それで、幕府は恐れたのです。何を畏れたのでしょうか??続く