ヘイトスピーチの前で「あなたの意見には反対だ。だが、それを主張する権利は命をかけて守る」は有効か | 御苑のベンゴシ 森川文人のブログ

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 ヘイトスピーチ規制と弾圧、をテーマに講演をしました。ヘイトスピーチを規制する法律を制定することが是が非か、「表現の自由」を侵害しないか、ということが大きなテーマ、ということになる、のでしょうか。

 具体的には「韓国人を絞め殺せ」「ウジ虫韓国人を日本から叩き出せ」「日本国に不要になった朝鮮人、国際社会に不要になった朝鮮人は即刻東京湾に叩き込みましょう!」「寄生虫、ゴキブリ、犯罪者。朝鮮民族は日本の敵です。」「あなたたちはね、ただの犯罪者の末裔ですよ。人殺し、強姦魔。それが朝鮮人ですよ。」「よい韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」「くそ喰い土人、撲滅」「朝鮮人、首吊れ毒飲め飛び降りろ」「ゴキブリチョンコを日本から叩き出せ」「二足歩行で歩くな、チョンコの分際で」「恥ずかしい民族がエラそうに息を吸うな」「いつまでも調子に乗っ取ったら、南京大虐殺じゃなくて、鶴橋大虐殺を実行しますよ!」という拡声器を使った罵声のヘイトスピーチに対して、ヴォルテールが言ったという「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という主張の「有効性」が問われるのだと思います。

 もっと具体的に言えば、「あなたが在日朝鮮人だとして、あなたの子どもの学校の前で以上のような言葉を大音量で浴びせる人たちが校門前に押し寄せたとき、そして、警察はそれになんら規制をしないとき、あなたはどうしますか?」という問い(金竜介弁護士)にどう答えるか、ということが大きなテーマだと思います。

 金弁護士(以下、「金ちゃん」)は、私の旧い20年来の友人です。ともに憲法運動をいろいろな議論をしながら実践し、酒を飲み交わし、互いに意識しながら過ごしてきました。

 だから、私は、具体的に、この問いを避けることはできないのです。

 今回の講演を依頼していただいた直後、偶然、裁判所で金ちゃんを見かけたので、声をかけ、こういうのをやる予定だというのを告げました。その前に、彼が朝日新聞に載せていたヘイトスピーチについての「あなたはきちんと具体的に闘っているのか?」という旨の記事も頭にあったのです。

 私は、難しい問いだけど、この時代の重要な、考えるべき問いだと思いました。ですので、しばらく彼とメールでやりとりした後、久々に会って話そう、その際には、共通の友人であり、かつ、このテーマに重要な木村元彦くんと3人で会おう、という話になりました。

 私たち3人は20世紀からの付き合いですが、その後、それぞれ結構、バラバラに歩みました。時々、くっついたり、離れたり・・・それぞれの考えと実践、取り組みがあります。人間関係も交わったり、緊張的であったり複雑化しました。

 私は、3人で会ったときの話を踏まえ、ずっと考えました。私にとっては大きなテーマとして与えられていた「関東大震災時の朝鮮人虐殺」という問題とも重なる大きなテーマだと思いました。

 私の、私なりの「答え」は、つまりは、ナショナリズムによる統合に対して、「非国民=不逞の輩」として連帯・団結しよう!というものです。
 かつて姜徳相先生の前で「軽々に」発言し非難され、その後、改めて勉強をし、其の上で、また姜先生の前で披瀝した発想であり、結局は私の「実践」が問われる「答え」ですが、私としては、私は、このナショナリズム統合の時代に逆らって「非国民」として共に闘おうが「答え」です。

 それでも「具体的に」かつ「現実的に」、金ちゃんの「あなたが在日朝鮮人だとして、あなたの子どもの学校の前で以上のような言葉を大音量で浴びせる人たちが校門前に押し寄せたとき、そして、警察はそれになんら規制をしないとき、あなたはどうしますか?」に対する「答え」にはなっていない、と思います。

 自らヘイトスピーチをやめさせるか。それとも、警察権力の発動を促すか。

 「そんなの警察に頼むに決まっているじゃないか」と言える人には、そもそも問いの重いもないでしょう。また、それは「表現の自由」だから言論で対抗しよう、という人にとっても。

 権力と闘い、打倒し、自分たちで責任をもって社会を回す、と言っている輩(つまり私)は、「今」ヘイトスピーチの前ではどうするのか?!ということです。

 あなたは、ヘイトスピーチを自らの手で、力で、止める勇気、もしくは方法を具体的に行使できますか、それとも眺めていますか、ということだと思います。う〜ん・・・。

 1923年の9月2日、朝鮮人を殺そうとしている人々の前で、「そんなことやめようよ!」ということが出来るのか、ということが再び問われているのだと思います。

 この「問い」を今、考えるのは極めて重要だと思います。時代の問い、です。