ゴメンナサイという感覚は、 生きて良い証 | 渋谷 新宿 心理セラピスト@愛乃ここみ


人生の繰り返す不幸なパターンを断ち切り


今、あなたが本当の自分へと生まれ変わる



【投資額】30,000⇒20,000


【時間】120分(現在こちらの時間のみ)


【開催場所】渋谷会議室


(お部屋は空き状況により変更します。


詳細は、お申し込み後に連絡致します。)


 


お申し込みは《こちら》からどうぞ


 


☘本気で人生を変えたいあなたへ

 カウンセリング詳細はここから


 


東京で活動している

リトリーブサイコセラピー®

愛情問題専門の心理セラピスト


愛乃ここみです。


 



 


今年も、冬のバーゲンセールが


ポツポツと始まりましたね~


 


この時期、夜の冷た~い風に


全身で耐えながら  ガクガク( ゚Д゚)


帰宅していると、


『もっとあったかい冬物のコートが欲しい』


『マフラーが欲しい』『防寒着が欲しい』


こればっかり頭の中で考えてしまいます。(笑)


 


そうなんです。


わたしは寒いのが大の苦手なんです・・


 


だから最近では、お気に入りのサイトを見ては


『このコートも安くならないかな・・・』と、


最新情報をチェックし、


おまけに、違うモノまで気になってしまって購入


このパターンにはまっています。


 


安いとなんとな~く


買ってもいいかなっていう気持ちになりませんか?


 


 


結局『ただ欲しいだけじゃん』と


旦那さんに突っ込まれる始末。(*´∀`*)ヤレヤレ


_________________


 


さて、本日のテーマは


【ゴメンナサイという感覚は、


生きて良い証】です。


 



 


小さなミスやトラブル、失敗、誰かを傷つけた。


その記憶で必要以上に


過剰に自分を責め続けていませんか?


 


「自分は悪い人間だ」


「すべては自分のせい」


「ごめんなさい」


「わたしさえいなければ」


「わたしなんか


 〇〇な資格がない」


 etc・・


 


実はこの感覚を持つ(自分を縛る)事で、


幼少期に苦しみながらも、必死に自分を


守ってきたのかもしません。


 


 


たとえば


こんなお話をあなたはご存じでしょうか?


 


 


以下引用_______________


 



 


むかしむかしあるところに、


旅を続けているキツネがいました。




キツネは食べ物も小川もないところを


歩いていたので、

何も食べていない日が続いていました。

キツネが歩き続けていると、

道の途中にぶどう畑が見えてきました。




腹ぺこでノドもからからだったキツネは


大喜びでぶどう畑へ近づきましたが、

ぶどうの木が高くて手が届きません。




キツネが背伸びをしても

どんなに高く飛び上がっても

ぶどうを取ることができませんでした。




ぶどうを取ることに疲れてしまったキツネは、


自分のしっぽでさえ重く感じてしまいました。




おいしそうなぶどうを目の前に、

ツバすら出てこなくなっていました。

悲しくなったキツネは、

「どうせこのぶどうは


すっぱくてまずいに違いない。

絶対食べてやるもんか!!」


と言い、その場を去っていきました。


 


 


引用終わり_______________


(童話 きつねとぶどうより)


 


もし、あなたが今お腹が空いていたとして


目の前に美味しそうなブドウがあったら


「食べてやるもんか!」と感じるでしょうか?


 


 


そうです、感じないですよね。


 


 


でも、こんな風に空腹なことに


慣れ過ぎてしまったキツネは


食べられなかった気持ちと引き換えに


このぶどうは


すっぱくてまずいに違いない


と思うことで


 


 


食べられなかったことを


正当化し自分を納得させるのです。


 



でも“このぶどうは


すっぱくてまずいに違いない”


と思い込むことと


 


おいしそうなブドウ”という現実


とでは大きく違いませんか?


 


 


そうなんです。現実とは違うのです。


 


 


ということは・・です。これと同様のことが


あなたの「ごめんなさい」という感覚を中でも、


起きているのかもしれないですよね。


 


 


自分にとってよくないことが起きる


(起きるかも知れない)と感じた瞬間


現実では、誰もあなたを責めていない場面でも


「お前が悪いんだ」という言葉を


脳内に響かせることで


現実を遮断します。


 


 


そのため、対等な人間関係を築くことができず


常に相手の位置より下に入り込み


身体を小さくまるめ



わたしだからダメなんだ・・・

「ごめんなさい!!!!!」

(私が悪いから、もう責めないで)

 

 

 

こうして幼少期の親との関りの中で

創りだされた「幻想」の中で

罪悪感を持ち続けながら生きていると

この家の中では生きていられる・・・

(OK)と子供は感じてしまうのです。

 

 

 

たとえば、幼少期にこんな経験はありませんか?

・親のルールに従わないと、

 罰が与えられた

・家族の誰かの失敗でも

 自分のせいだと言われた

・親の気分が激しく変わる

 (今日は良くて、昨日はダメ)

・失敗やチャレンジすることを

 許されなかった

・心配だという台詞などで、

 『だからいつもあなたはダメなんだ』

 と言われてきた

・親のイイ子でいたら、叱られなかった

・虐待をされていた

・自分の感情や意思を言おうとすると、

 禁止された

 etc・・・

 

 

そして、この罪悪感を大人になつても

持ち続けるとどうなるでしょうか?

 

 

無意識のうちに、ごめんなさいと感じることで

自分は生きていていいと信じ込んでいるので

この罪悪感があるということは、

その代わりに幸せや愛情を受け取ることが

自分自身に許可できないということと同じなんです。

 



また、幸せになることを

自分に許すこともできないということは

もちろん、こころから自分の感情を感じ

笑うことや楽しむことも・・・・できないですよね。

 

 

これって苦しいですよね。

 

 

そうなんですよ。

この状態ってとっても苦しいんです。

 

 

だって本当は幸せになりたいけれど、

幸せになろうとすると

あの感覚を思い出し怖いのです。

だから必死に幸せを感じないように

自分を守ろうとする力がでてきてしまう。

 



でもね、ここで立ち止まって

考えてみて欲しいのです。

これから続く長いあなたの人生の中で

この罪悪感に縛られて

妄想の中で生きる必要は

本当にあるのでしょうか。

 

 

当然ないですよね。





なぜなら

そもそもあなたは

罪悪感を感じて生きなくても

いい存在だからです。







本当は楽しい、嬉しい、大好き、

などのあなたの感覚は

大事なあなたの感覚で

その感覚があるからこそ

 

 

たとえ苦しことがあったとしても

愛する人と繋がりを感じたり、

安心を感じたり、

仲間と一緒に協力したり、

分かり合える存在なんだ

と気づいたり

 

『自分の人生を生きている』

と感じられるのです。

 

 

そのために抜け出そうと

恐怖と向き合うことは

死ぬほど怖い事かも知れません。

 



でも、罪悪感を手放した先にあるものは

あなたが本当に生きたい人生が

待っている未来です。

あなたにはその人生を生きる力も

能力もあるのですよ。

 

 

あなたが本当は

幸せに生きる資格のある人だとしたら

何にチャレンジし、何を選び、誰と一緒に、

どんなことをしてみたいでしょう。

そんなことを考えながら

生きる未来は楽しいですよね^^


 

この『罪人のように生きる生き方』について


恩師の大鶴和江先生もブログに書いています。


下にリンクがありますので


ぜひ参考にしてみてくださいね。


 


 


では、また!


 


 



☘本気で人生を変えたいあなたへ

 カウンセリング詳細はここから





☘Facebook 友達申請はこちらからどうぞ(女性限定) Kokomi Aino



☘メルマガ登録は画像をクリックして下さいね。

  愛する人と繋がる、最高な人生の歩み方