昔、母の鹿児島のツアー旅行でも日程に入っていたそうな。
ただし、時間の関係上ぜんぶは回れなかったんですって。
ゆっくり回れて良かったね
さあさあお次は?
このポスター見て面白そと決めました
博物館と言ってもお家ぐらいのスペースです。
でも、その中に昔のお人形がびっしり
撮影禁止なので一昨写真はありません。
ググって資料無いかな~と思ってと外観くらい。
本当に撮影禁止だ
人形だけじゃなく、おもちゃもたくさん。
私が子供の頃によく見かけてお菓子のおまけもありました
懐かしいもの、知らないもの、本当に博物館です
凄かったなあ…
着物の着せ替え人形があって、昔っから女の子は着せ替好きよねーとか。
ネットで見た事のある、妊娠バービー(お腹を開けると胎児が入ってる)とか。
凄かったなあ…
唯一、ネットで拾えた画像がこれ。
この紙に切手貼ればそのままポスト投函で郵送できるんですって。
こちらの売店で販売してました
他にも私が20代の頃大阪で買ったキーホルダーも販売してまして。
懐かしかったな~
小さな博物館ですがたくさんの情報が凝縮されてます。
おススメですよ~
…腹減った。
てなわけでお昼御飯
もう、ふつーにお好み焼きです(笑)
鹿児島の食べ物とかじゃなくていーやいーや、と入ったお店でしたが、
美味しかったな~
納豆嫌いなんですが、納豆と山芋のお好み焼き、ありですわ
お会計をする時にお兄さんに、
「○○円でした」
と言われ。
電車そう言えば、昨日のお店のお姉さんも過去形で言われたなーと思い。
「鹿児島じゃあ過去形で言うんですねー」
なんて話してみたら、
「人によります」
人によるんかいっ(笑)
ここ実はさっきの武家屋敷の①番の川を渡った向こう側。
徒歩圏です
さあ、そろそろ本命に向かうぞ
知覧特攻平和会館。
ここは第二次世界大戦末期の沖縄戦にて、
『特攻』という爆弾を装着した飛行機で敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料が展示されています。
なんとなく知っていた『特攻』ですが、
深く興味を覚えたのは知人の舞台。
7年前くらいからかな?
この特攻をテーマにした舞台をやり続けており、
去年鹿児島での公演を行い、
今年は東京、宮崎、仙台で公演を打たれます。
今年は数年ぶりの東京公演があるし、せっかく鹿児島に行くなら観ておきたいなー、と思ってました。
中は撮影禁止です。
ですので、しっかり自分の目に心に焼き付けてきました。
会館の中は出撃していった人達の写真、名前、遺品、遺書が大切に保管されていました。
遺書は読めるように展示されています。
まだ20歳前後の子供、若い子で17歳の子もいました。
そんな子たちがお国の為に、と命を散らしていきました。
語り部さんの映像コーナーもありました。
隊員さん達が寄っていたお店の店員さん、お手伝いに入っていた女学校の学生さん。
丁寧に思い出し、しっかり伝えてらしてました。
当時の資料映像も流れてました。
映画ではない事実。
爆撃を受け敵艦に体当たりする事も出来ず墜落する戦闘機。
見事敵艦に体当たり成功、爆発炎上する戦闘機。
映像では遺書を紹介する一文も。
その中で一番辛かったのは。
特攻に志願し認めてもらえない旦那様を案じ、
我が子を道連れに身投げした奥様。
その事実を持ってやっと特攻に入隊できたわけですが、
出撃の際記した遺書は、
まだ幼い我が子が読めるようにすべてカタカナ。
もう既に亡くなってます。奥様と一緒に。
その子に書いた遺書が展示されていて、映像で改めて紹介されていました。
本当ね、言葉は悪いですがね、
気が狂ってるとしか思えない。
この時代に産まれてきたきた以上、
この世界で生きていくしかなかったんでしょうね。。。
横を向くと母が号泣しとりました。
実はここに来たがらなかった母。
「お母さん、外で待ってるわ」
と言ってました。
戦争映画も大嫌い。
母の故郷の広島にある原爆資料館も行った事がありません。
何の為に資料館残してると思ってんだよ⁈と喧嘩した事もありますが、
人一倍感受性が強い母。
普通の人より悲しく悔しく感じてしまうのかもしれません。
「やっぱ、こういう事があった、て事、
見てやらんにゃあいけんのんよねぇ…」
特攻をテーマにした映画で使用された、一式戦闘機・隼。
知覧の基地からは120機飛んで行ったそうです。
知覧の基地から沖縄の海に向かうのに、開聞岳の山上を3回旋回してから飛び立ったそうで。
「なら、その開聞岳を見に行こう」
という訳で、次の目的地は開聞岳です