「ようやく子供のような絵が描けるようになった。
ここまでくるのに ずいぶん時間が掛かったものだ。」
ー パブロ ピカソ
パブロ・ピカソ(1881年 - 1973年)は、スペインのマラガに生まれ、
フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。
「想像出来る事は 全て現実なのだ」
画家として有名な理由はその不可解さだけではなく熱狂的な創作活動
ジョルジュブラックとともにキュビスムの創始者として知られる。
生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、
3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、
最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。
ーウィキペディア
自分についてのドキュメンタリーが国宝
1955年にはアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の映画、
『ミステリアス・ピカソ/天才の秘密』の撮影に協力した。
ピカソがこの映画で描いた絵画は、撮影後全て破棄され、
現在では見ることができない。
この映画は1956年の第9回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞、
1984年にはフランス国宝に指定されている。 ーウィキペディア
共産主義者としての表現者
スペイン内戦中、小都市ゲルニカがフランコの依頼により
ドイツ空軍遠征隊に空爆され、
多くの死傷者を出したことによりピカソが描いた「ゲルニカ」。
死んだ子を抱いて泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、
狂ったように嘶く馬などが強い印象を与える縦3.5m・横7.8mの
モノトーンの大作であり、
同年のパリ万国博覧会のスペイン館で公開された。
ピカソはのちにパリを占領したドイツ国防軍の将校から
「『ゲルニカ』を描いたのはあなたですか」と問われるたび、
「いや、あなたたちだ」と答え、
同作品の絵葉書をみやげとして持たせたという。
-ウィキペディア
芸術家としてだけではなく、自分をブランド化したビジネス思考
”買物の際に小切手を使えば、
それをもらった商店主は小切手をどのように扱うだろうか?”
ピカソは次のように考えた。
「商店主は小切手を銀行に持ち込んで現金に変えてしまうよりも、
ピカソ直筆サイン入りの作品として部屋に飾るなり、
大事にタンスにしまっておくだろう。
そうなれば小切手は換金されないため、私は現金を支払う事なく、
実質的にタダで買い物を済ませることができる。」
出典
経済的にも大成功した ピカソに倣う「お金」の本質|ピカソの秘密|ダイヤモンド・オンライン
生涯に結婚は2回、彼女は沢山、男性としても精力的 w
ただ現在を生きようが為に絵を描くのである。」
半端ない数の作品を残すという事は、
日々半端ない創作活動を行い、
その上生涯いつも彼の横には女性がいた。
「私の創造の源泉は私の愛する人々である。」
男は愛と行動力、、、(^u^)
え、女性は、、、愛嬌? w
明日もみなさんにとってステキな時間になりますように♬
心身ともに健やかに。
ありがとう、
ごめんなさい、
ゆるして下さい、
愛してます。