お仕事があるということは

もう感謝感謝そのものです

悲しみを埋めるものではなく

悲しみに向き合うためにも受け入れるためにも

お仕事があって自分が存在していること自体に

感謝感謝してやみません。

人間って生かされているから

仕事においてもそれぞれの立場があり

上手くお付き合いしていくことも

人脈というものは重要なんです

私はそれをとても大事にしています

自分のために全てが回ってるのではなく

それぞれの立場を思いやりながら

考えていく

それが仕事の大切なルール。

そして私は自分が置かれているご先祖様のルートを

考えるようになりました

親からもらった身体

親が残した土地

親が残した家

そこには母もいなく誰もいないからって

哀しむのではなく

これは全てにおいて意味がある

人はなぜ死んで残していくのか

残された私に役目がある

残された土地、家、時間を見て

今の私に何が出来るのかではなく

どう活かせるか?なのである

私が生まれたときこの土地柄

人たちは障害を持つ私を気の毒と見てた

言葉の訓練のためと鹿児島市に越した

それから50年余り

時代は変わろうとしている

障害なんか関係ないと周りが変わり始めている

そして聞こえないことを拒否されると

「合理的配慮って知っていますか?」

と思わず言葉が溢れてしまった

私はブレなくなりました

昔は誰も私の存在を認めようとしなかったが

今は私の存在を見てくれるようになった

昔は親が私を守ってくれた

今はもう親がいなくても

私は生きていけるはずだと

神さまがそう悟ったんだろう

「美紀、残されたものを

どう使うか、考えなさい」

「あなたの考え一つで利用できるものか、

利用できないものか、よくよく考えながら

行動しなさい」

と言われたような気持ちです

そして、残された土地、家をあなたが

使うと嬉しいと

育ての親が私の夢枕で

言っていました

私は空を見上げて

「もう少し時間を下さい」

ゆっくり考えたい

何が己で何が乙なのか

誰か誰のために生きるのか

私は先のことも含め、考えて考えて

答えを見つけます