朝、起きると真っ先に気がつくのは

ピンクのカレンダーを探している自分がいる。

ピンクのカレンダーとは。。。

怖くてめくれなくなった小さいカレンダー。

それはもう捨てたものだった。

母が亡くなって6月、7月。。。めくれなくなってしまったピンクのカレンダーである。

小さなことだけど、私は母ロスから抜けられなくてもうこのカレンダーは自分のために捨てたのだ。

だけど、まだ脳は母を追っている。
探している。
完全に母ロス。

そこまで深く深く母のことをこれまで愛していたとはそういや、聞いたことがある。 
子は親を選んで生まれてくると。私は母が大好きでたまらない。

私は母に褒められたくて言葉が話せるように生きてきた。

褒めるのがあまり得意ではない母。

褒められたくて褒められたくてあらゆることにいろんなことに挑戦する私。

今、思えばこれも私が母に振り向いてほしくて頑張り過ぎた。

しかし、今は泣きたいのをグッと堪える理由が一つある。

それは母が残した彼氏。

父が衝撃な死を私に告げてから母は彼と出会い、27年も彼氏と幸せいっぱいの生活を送っていたことに感謝してやまない。

母が亡くなってから1年きっと彼は

朝、起きるたびに母を探しているんだろう姿の見えない母を。

だから、私は声を出して泣かないことにした。

この人を守るんだ。

ありがとう、私の母を愛してくれて。

私の母はあなたがいて幸せいっぱいだったよ。
今も幸せのまんま。

私にとってはピンクのカレンダーとは

母の死を認めたくなくて、去年の5月からめくれなかったカレンダー。

もうそのカレンダーのことは忘れよう。見ると、あなたのためにわんわん泣きそうだから。

花に囲まれて両手を上げて光の中に包まれて幸せいっぱいに行った母。

神様が私に託したものかもしれない。

この人を幸せにしたいのならこの人が残したものを大切に生かしなさいと。

新型コロナウイルス感染で
中止になった舞台。

再びあの舞台を継続できるように努めよう。

時間はかかるだろうけど。。。

ゆっくり前に進もう。

うん。答えが見つかったよ。

あなたの生き様を

もっと多く魅せるべきだね。

新型コロナウイルスのことでだんだんと

 

全てが崩壊していきそうな有様を

 

目の前にして私がいつも思うのは

 

「私は塔」

 

です。

 

母が私のことをいつも言っていたのは

「あなたは強い」だった。

 

「あなたは塔のように強い」

私はそのことをよく言われるので

なかなか甘えることはできなかった。

けど今は亡くなってから

その言葉は私がひとりになっても

大丈夫なように言ってたかもしれない。

それを思うと

「ありがとう」と感謝いっぱい。

大きな壁にぶつかっても

それはずっとずっと私は壁にぶつかってたばかりで

たとえ、それが聴覚障害が原因であっても

私は母には言わなかった。

自分の中で解決しようとしていた。

聞こえないことは聞こえる人にどうやったら

伝わるだろうといつも考えていた。

聞こえる人も聞こえない人も一緒に支え合う日を

夢見ていた。

それを吐き出すためにも作ったのが

NPO法人MAMIE。

設立して17年目になる。

長い道のりだった。

今思えば、私にとって「吐き出すための出口」のつもりが

「聴覚障害、聴導犬の啓発活動」になっていった。

私は感謝する。この仕事に。

 

新型コロナウイルスになって経済がだんだんと行き詰っていく。

 

私はその時思うようにしている。

 

「私は塔」。

 

私はブレないよ

 

私はここを動かない。

 

じっと堪える。

 

そして嵐が過ぎたら

 

そっからまた大きくなるよ。

 

今は新型コロナウイルスの嵐が来てるだけ。

 

私は塔。

 

まぁるい塔だから新型コロナウイルスが付かない。

 

スルッと滑る。通り過ぎる。

 

そのままスルーしてどこかに行って

 

消えてください。そして元の場所に

 

戻ってください。

 

お仕事があるということは

もう感謝感謝そのものです

悲しみを埋めるものではなく

悲しみに向き合うためにも受け入れるためにも

お仕事があって自分が存在していること自体に

感謝感謝してやみません。

人間って生かされているから

仕事においてもそれぞれの立場があり

上手くお付き合いしていくことも

人脈というものは重要なんです

私はそれをとても大事にしています

自分のために全てが回ってるのではなく

それぞれの立場を思いやりながら

考えていく

それが仕事の大切なルール。

そして私は自分が置かれているご先祖様のルートを

考えるようになりました

親からもらった身体

親が残した土地

親が残した家

そこには母もいなく誰もいないからって

哀しむのではなく

これは全てにおいて意味がある

人はなぜ死んで残していくのか

残された私に役目がある

残された土地、家、時間を見て

今の私に何が出来るのかではなく

どう活かせるか?なのである

私が生まれたときこの土地柄

人たちは障害を持つ私を気の毒と見てた

言葉の訓練のためと鹿児島市に越した

それから50年余り

時代は変わろうとしている

障害なんか関係ないと周りが変わり始めている

そして聞こえないことを拒否されると

「合理的配慮って知っていますか?」

と思わず言葉が溢れてしまった

私はブレなくなりました

昔は誰も私の存在を認めようとしなかったが

今は私の存在を見てくれるようになった

昔は親が私を守ってくれた

今はもう親がいなくても

私は生きていけるはずだと

神さまがそう悟ったんだろう

「美紀、残されたものを

どう使うか、考えなさい」

「あなたの考え一つで利用できるものか、

利用できないものか、よくよく考えながら

行動しなさい」

と言われたような気持ちです

そして、残された土地、家をあなたが

使うと嬉しいと

育ての親が私の夢枕で

言っていました

私は空を見上げて

「もう少し時間を下さい」

ゆっくり考えたい

何が己で何が乙なのか

誰か誰のために生きるのか

私は先のことも含め、考えて考えて

答えを見つけます