川内花火大会のとき

おとんは母の遺影を抱いて

出てきてくれた

そんなおとんの姿を見てて

思いました

私は見て見ぬフリしながら

酒を片手に写真を撮っていました

おとんの背中

その背中には人生が描かれている

愛情の深い人だからこそ

母が亡くなったことに対して

許せないんだね

だから「神などおらん」とか

喚くんだね

私はどうやったら

おとんが母の死を受け入れ

生きていけるのか

美紀はずっと考えていました

母のお骨を大阪に持ち帰るのは

やめました

何故かというと

おとんがおとんでなくなるような気がしました

おとんと母を離ればれにはしたくない

懸命に懸命に考え抜いた結果

母を嫁にやるような気持ちで

おとんに引き渡し

おとんのご先祖様のお墓に納めてもらうこと

それでおとんは引き受けてくれるのだろうか

と私はおとんに聞いたら

「ちーちゃんのお骨は俺が守る」

私はおとんに頭を下げました

よろしくお願いします

母はおとんの妻だから

籍を今まで入れなかったのは

私と兄への労いだろう

もうよか

私よりも母はおとんと一緒に長いこと

過ごした 27年だよ

私を母は18年間育ててくれただけ

それも二人の強い絆があり

二人で悲しみを乗り越えた今があるんだから

一心同体だったおとんと母

もうよか

私は母をお嫁に出す気持ちで

おとんに頼むね

いつまでも永遠に二人は続きますように

お骨をおとんの近くに置く

私はまだまだ帰ってこれるから

おとん、大丈夫だよ

私はまた帰ってきます

おとんと母の場所が

私の帰ってこれる場所だから

私はね

土地にとどまる人ではないの

私の土地というものはどこも関係ない

おとんは長いことここに住んでいたのも

母が居たから

母との思い出もたくさんあると思うけど

ようやって母と一緒に悲しみを乗り越えてきたんだから

凛と生きてください

私は時々帰ってくるから

おとんは帰って来ないんだろうと言ってるけど

私は鹿児島で啓蒙活動を続ける気持ちは

変わらないから

きっと私が鹿児島で啓蒙活動をするのも

はじめから用意されていたものだった

母からのメッセージ

「あなたの舞台を見れて幸せだった

この舞台をここで終わりにするのではなく

続けることがあなたの役目なんだから」

今でも残っている

母の映像

その映像を見て私は将来の目標がここに隠されていると

感じました

私のための舞台はまだまだこれから先

用意されているかもしれないが

私は最終的に人を温かく見守っていけるような

人間になりたいと願っています

人は一人じゃないんだから

弱き人もいれば

強き人もいて当たり前

弱き人に手を差し伸べるというより

弱き人を強くさせ引き出す

かつてなかったものを引き出すことが

今の時代の新しい形といえよう

いろんなことに挑戦すること

いろんなことをお勉強すること

いろんな経験を積むこと

今は母という盾はなくなりましたが

今後は私が盾になります

何かあってもブレない

同時に忘れてはならないのは

視界を広く持ち、穏やかになること

相手を追い詰めることなく思いやること

ありがとう

おとん

母を頼むね






今日は疲れて昼寝してしまい、いつの間に

3時間も寝てしまいました

12月に最愛の叔母がなくなり

5月に最愛の母がなくなり

8月8日に兄の義母がなくなりました

立て続けに人がなくなる中


私は朝目がさめる度

夢じゃないんだなぁ、

と呟く日々

あと2日で母の初盆だね

私は母の夢を見た

それはおとんが夢の中で

ドアを開けたら

母が出てきて

私を見て微笑む夢だった

そかそかおとんの決断で母の気持ちが片付くと

美紀はわかりました

私は母のお骨は

おとんのそばに置くべきです

おとんが母の残された役目を果たす

それがおとんのやるべきこと

私はおとんが幸せにならないと

私も幸せになれない

私はどこに住んでも一緒だから

ただ、大切な人は幸せになってもらいたいから

おとんの気持ちは大事にしたい

おとんの気持ちが一番だから

私はおとんの幸せが一番

だから母もわかってくれるんだね

おとんがドアを開けて母を迎え入れてくれる

私は母と一心同体だった

でもねでもね

母はやっと一人の女として

おとんと一緒になれて

幸せだったんだよ

娘を育て上げた後のご褒美として

おとんと一緒になれて

母は女としての幸せを噛みしめることが

出来たんだよ

だから私はおとんの幸せが一番

私はおとんが幸せなら

私も幸せです

母はわかってくれると思う

私のこの想いを

何も言わなくても私は

ゆっくりとおとんのそばにいるのが

一番だから

母が惚れて一緒になったおとんだから

最後の最後まで

私はおとんの生き様を見ていきたいです

私は

みんなが幸せになってくれるのが一番

みんなの笑顔を見ていられるのが

私の幸せです

自分がよかれと思うよりも

その人が幸せかどうか

考えてしまうのは

母に似たのかもね

それでいいよ

それが親子だね

明日は明日の風が吹く

オオママ、愛してるよ

自分はどういう人間として

何故生かされているのか?

昔から私は自分のことを

そう思っていた

「自分の言葉」が言えなかった少女時代

それは自分の中でもがいていた

お友達が私にわかってないと

思われ、同じことを繰り返し

私に大きな声で怒鳴る

自分の思っていることを

思うように言えなくて

私はお友達の腕を噛んでしまった

その時、お友達は私から離れていった

ゴメンね、が言えなくて

それも辛かった

私は一人だった

なんで一人だろう

私は

「はないちもんめ」という遊びが嫌いだった

「勝ってうれしいはないちもんめ」

「負けてくやしい花いちもんめ」

「たんす長持ちどの子がほしい」

「どのこじゃわからん」

「相談しましょ」
「そうしましょ」

全員で舌を出して

「あかんべー」

相談の後、それぞれが

「決ーまった」

前回勝った方から

「◯◯ちゃんがほしい」

「◯◯ちゃんがほしい」

そしてジャンケンボン

そういうゲームだった

私はこのゲーム

何を言ってるのか

わからなくて

みんなについていくだけだった

誰なのか

誰が私を呼んだのか

わからなかったので

このゲームは好きになれなかった

「はないちもんめ」

苦い思い出はあるものの

でもわかりやすいゲームは

あった

それは

「だるまさんが転んだ」

である

鬼が振り向いたら止まる

鬼が頭を向けたら走る

はないちもんめに続いてわかりにくかったのは

かくれんぼである

まだかー?

もういいかーい?

「もういいよ!」という言葉が聞こえない

それでも私は遊びに参加したもんだ

ままならないコミュニケーションに

私にみんな、怒っていたもんだ

「みきちゃん、絶交よ」

と言われて私は一人になる

必ずみんなは親に私のことを言いつける

するとみんなの親は

みきちゃんはきこえないんだよ

と言われて

みんなは私の家に集まる

「みきちゃん、絶交って言ったりしてごめんなさい」

「ううん、ゴメンね」

このパターンになった

いつもその繰り返しだった

聞こえる友達は

私に辛抱強く付き合ってくれた

私は言いたいことが言えず

自分の言葉を探していた

それが本だったり

マンガだった

神さまはいないけど

いつかは私は言葉を話します

と自分を励ましていた

何故きこえないのに

みんなと一緒にいるのか

不思議でしたが

私にとってはゆっくりと成長したようなものでした

言葉も聴力もゆっくりと成長していく

毎日がリハビリです