☆川崎在日コリアン生活文化資料館  在日一世からの聞き書き
http://halmoni-haraboji.net/exhibit/report/200608kikigaki/hist006.html
1948年ころだったと思いますが、夫の弟(当時12歳)が釜山から日本に密航しました。
親を亡くし、むこうではトコロテンくらいしか食べるものがなく、やせ細っていました。
私は親代わりになり育て、学校にも行かせてやりました。
弟が学校を出てから16、17歳になったとき、刑事だと思うが、人が来ました。
「学校に通っていたうちは見逃していたが、卒業したのでどちらかに帰れ」と言われました。



川崎駅前の土地も朝鮮人が戦後のドサクサにまぎれて住み着いたのです。



☆川崎在日コリアン生活文化資料館  在日一世からの聞き書き
http://halmoni-haraboji.net/exhibit/report/200608kikigaki/hist007.html

川崎の駅のキング通りは終戦直後は、みんな焼け野原で店は一軒しかなかった。
土地は誰のものでもなくて、在日コリアンが勝手に自分の土地にした。
うちは韓国に帰るつもりだったから、そういうことはしなかった。
一度韓国に帰ったみんなが日本に戻ってきたから、自分たちも韓国に帰るのをやめた。
今ある川崎駅近くの店は、一軒残っていた呉服屋以外みんな在日コリアンが勝手に振り分けた。




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