政党綱領

政党綱領とは政党が、国民に対して公約する基本政策の大網を言います。略して政網とも言います。国民は政綱を知ることにより、どの政党が自己の利害や主義を代表するかを見分けて支持するの政党政治の常道です。
党公約とは政党が政権をとった暁には、各種の政策を必ず実現すると、国民に約束すること。主として選挙に際して大大的になされます。しかし今までの例によると、票集めのための公約が多いのが現実です。
攻策協定とは政党同士が話合い、提携や統一行動の基礎とする協定です。各政党は、それぞれ独自の政策を持っています。しかし特定の行動をとる場合に、その範囲に限って同一行動をとる必要が出てきます。例えば二つ以上の政党が連立政権を作る場合、あるいは野党各派が連合して与党に対抗する場合などにそうした政策協定が結ばれます。しかし保守政権にとって戦後最大の危機といわれた昭和49年の参院選挙を前にしても、革新諸政党は、ぼぼ共通の政権構想を持ちながら各自の思惑や相互不信のため容易に政策協定は結べませんでした。むろん協定された政策以外は、各党が独自の政策を掲げてさしつかえありません。

http://political-terms.x0.com/Politicalfolder/23.html




「なぜ綱領を持とうとしないのか・政党としての弱点」

 民主党は結党以来、党の綱領を持っていない。また、持とうともしていない。政党は結党するとき党の憲法である「綱領」を作成して船出するが、これが無くても民主党は政権を取ってしまった。我々は「行き先の書いてない乗り合いバス」に乗ってしまったのだ。「何とかなる」と国民は騒がずに乗っているのは、行き先が書いてないからこそ各人が「どこどこへ着くはずだ」と勝手に判断して安心していられるからだろう。

 「先に綱領を決めてしまうと、自由な議論が制限される」こんな考えの党員もいるのであろうか? それでは逆に聞きたい「議論して決まれば、それが何であっても実行するのか?」「行き先はその場その場で決めるのか?」「最後に崖から転落、なんてことはないんだろうな?」。

 自民党から飛び出した人、元社会党の人、元市民活動家の人など多様な集団のため、ひとつの綱領を定めることなど実質不可能なのだ、という意見は民主党以外の党から聞こえる。しかし何かの目的のために結集したのだろう。その「目的」を綱領にはできないのか? 「大臣になりたい!」ではどうしようもないが、少なくとも最終到達点は同じではないのか。

 民主党が安定期に入って最後に突かれる弱点は多分これだ、「ナチスも始めは綱領を持っていなかった」。確かに一旦綱領を定めてしまえば、綱領に異議を唱える党員は即除名だ。「仲良しサークル」にこれができようか? 結局民主党員が小沢氏を毛嫌いするのと綱領を持とうとしないことは、案外根は同じものかもしれない。最後まで「自由な議論」をしていたいのだ。何をやるかはその次なのだろう。しかし「どこを目指すかとその方法」はやはり決めておくべきだと思う。

http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/497.html 








新しい綱領 新たな出発 - 自由民主党
http://www.jimin.jp/aboutus/pdf/kouryou.pdf






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