護国夢想日記さんのブログより
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南丘喜八郎  『月刊日本』6月号巻頭言 
<などてすめろぎは人間となりたまいし>

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昭和二十六年九月八日、サンフランシスコで対日講和条約の調印式が行われた。独立を回復する時期が目睫の間に迫ったのだ。だが、我が国は、米国によって憲法九条で戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を強制的に表明させられた。丸腰の我が国が如何に独立を維持達成するか。独立後の最重要問題だった。

 吉田茂首相は講和条約と抱き合わせで、日米安保条約を締結せざるを得ないと悲痛な決断をしていた。安保条約の調印式は同日夕方、サンフランシスコ市内の第六軍司令部で行われた。調印したのは吉田ただ一人。内閣総理大臣の肩書きは書かなかった。

旧日米安保条約は「日本国は、日本国に対する武力攻撃を阻止するための日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する」と明記する。

これは占領基本法であり、屈辱的な不平等条約だ。憲法九条と安保条約は一卵性双生児なのだ。吉田は無念の思いだったに違いない。   

 憲法制定議会で、自衛権の発動としての戦争をも放棄すると主張した吉田は、昭和二十五年の参院外務委員会で「私は軍事基地は貸したくないと考えております」と答弁している。吉田は首席全権代表を強く拒んでいた。占領基本法たる安保条約の調印を嫌がったのだ。

 では何故、その吉田が安保条約締結を決断したのか。問題を解く鍵は昭和天皇とマッカーサーの会談にある。
 

天皇はマッカーサーとの会談では終始、戦争を放棄した憲法九条に懸念を表明した。二人の会談は計十一回行われたが、重要なのは昭和二十二年五月六日の第四回会談である。

この会談で天皇は「日本国民は、憲法が軍隊を禁止し戦争を放棄していることに不安を感じている」と述べ、マッカーサーは「アメリカが日本の防衛を引き受けるであろう」ことを保障した。

 豊下楢彦は『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)にこう記述している。
 
〈沖縄における米軍の占領が「二十年から五十年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」のもとで継続されることを望むという、有名な天皇の「沖縄メッセージ」がマッカーサーの政治顧問シーボルトによって覚書にまとめられたのは、(第四回の天皇・マッカーサー会談後の)昭和二十二年九月二十日のことであった。

このメッセージが天皇自身の意思で出されたことは『入江相政日記』における「アメリカに占領してもらふのが沖縄の安全を保つ上から一番よからうと仰有ったと思う旨の仰せ」との記述によって確認された。〉

 敗戦直後、「鉄のカーテン」が降ろされ、東西冷戦は既に始まり、内外の共産主義の脅威は日々高まっていた。戦争を放棄した丸腰の日本が国家国民の生命財産、さらに国体を守るには、米軍駐留しかない。

敗戦で衝撃を受け、為す術を知らず暗中模索、五里霧中だった政治家の不甲斐なさに、昭和天皇は忍び難きを忍び、全身全霊、叡智の限りを尽くし、「高度に政治的な行為」を決断せざるを得なかった。

だが戦後六十七年間、沖縄は未だ米軍基地の下で呻吟することを余儀なくされている。日米安保条約という不平等条約の故に。

 天皇には負い目があったに違いない。ご在位中、沖縄を訪問されなかった天皇の御心の傷みを知らねばならぬ。

 明治維新を遡る安政五年に結ばれた安政の不平等条約を改定するため、維新政府と我が国民は死力を尽し、日清日露戦争を戦った。各国と対等な条約に改定できたのは明治四十四年、実に半世紀余の不屈の戦いの成果だった。

昭和三十五年、安保条約は改定されたが、不平等条約であることに変わりない。昨今の政治家は中国の台頭により、極東情勢が緊迫の度を高めるや、「日米安保の強化」を叫ぶ。一体、対等条約に改定することなしに、不平等条約の強化・深化を叫ぶなど、独立自尊の国家の政治家が為すべきことであろうか。

 三島由紀夫は『英霊の声』にこう記している。

 〈昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだった。この二度のとき、陛下は人間であらせられることにより、一度は軍の魂を失わせ玉い、二度目は国の魂を失わせ玉うた。…(中略)…
 などてすめろぎは人間となりたまいし。〉
 
 
 
三島由紀夫の言葉を援用するなら、天皇は敗戦直後の国際情勢を見極め、心ならずも「人間にましましたのだ」。

 天皇御一人の決断に国家を委ねた敗戦後の日本国。今、私の耳に三島の遺言が響き渡る。
 

〈日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、 或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。〉



(月刊日本6月号巻頭感予定)
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「甦れ美しい日本」  第1189号





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