大和さんのブログより
http://ameblo.jp/rekishi21/entry-11230368621.html



当時の韓国統領、李承晩は、1952年1月、
「一国の領海は干潮時の海岸線より三海里を限度とする」
という当時の国際法上の慣行を無視し、
朝鮮半島周辺200マイルを領海とすることを一方的に宣言。


公海上に引いた「李承晩ライン」を根拠とし、日本漁船の拿捕を実施しました。
1953年1月12日、李承晩が拿捕の徹底を指示により、
多数の日本漁民が公海上で韓国により不当に拘束されてしまいました。
2月4日、漁船に偽装した南朝鮮船第一・第二昌運号が、
公海上で操業中の第一大邦丸を銃撃し、
漁労長瀬戸重次郎氏を射殺しました(第一大邦丸事件)


韓国は漁船員を脅迫し、領海侵犯したという嘘の調書に捺印させ、
これを根拠として「済州島から脱出するのを追跡し銃撃した」と虚偽の説明を行い、
「日本漁船の李承晩ライン侵犯に対する警告」と正当化を図りましたが、
公海上で操業中の銃撃と判明、
朝鮮沿岸封鎖護衛艦隊司令官グリッチ少将が
公海上で一般人を射殺した韓国軍を非難したのです。


韓国が李承晩ライン廃止までに日本に行った史実は、
抑留者3929人、拿捕された船328隻、死傷者44人です。






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