日本人の進路さんのブログより抜粋
http://ameblo.jp/kororin5556/entry-11299225277.html







「スーパー福祉国家」日本に到来する確実な末路


 < 中川八洋著「民主党大不況」2010年清流出版から >


 ・拍車がかかる日本人の能力劣化

 ・破壊される「倫理道徳」

 ・拡大やまない「世代間不公平」

 ・進む " 国民の国家 " への隷従


 福祉国家がもたらす害毒は、究極に国家を衰退や破滅に至らしめる問題だけに限らない。

「福祉国家」は、その破綻する以前に、個々の国民に善よりも、多大な悪をもたらすからである。とりわけ、国民全体の病気や老齢に対する(最低水準ではなくそれ以上の)一定水準の維持は、政府権力を無限に独裁化し、この国家権力に対して個人は無力となり、国民の自由はかぎりなく侵害される。

 が、なぜかこの害悪については、日本ではほとんど議論されない。日本においては、「福祉国家」批判の正論に対して、それを圧殺して排除する、マスメディア界・学界・教育界・出版界を通じての、見えない情報操作と検閲が緻密で大規模に行なわれていることを物語る。

 過剰な「スーパー福祉国家」によって、日本人の平均寿命はうなぎのぼりに伸び、日本は健康な老人が豊かな生活を謳歌する社会になった。が、それは近未来に到来する、日本の廃墟への前奏曲である。老人の貧困と疾病とが根絶された代わりに、国家の活力は削がれ、若者の能力は劣化し、若い女性は結婚・出産を拒絶して生と性を享楽して人口減を加速し、さらなる収入を求めて主婦の不在は家庭教育の不在を正当化して次代の日本人の立ち居振る舞いの躾文化を消滅させたし、日本人の倫理道徳は老若男女をとわず顛廃の極に達している。

 一例をあげれば、年金制度の充実は、仮にそれが永続する場合ですら、老後を準備しないで「結婚しない/子供を産まない」日本女性を急増させ、彼女たちの幸福な人生と老後を喪失させている。このように、砂漠の蜃気楼のように、老後をバラ色に描く年金制度は、「自立力」を含め、老後や人生を考察できる基本的な能力を無能化し、慣習の叡智に生きる自由の根本の一つを阻害(スポイル)し、幸福な生涯を終える機会を喪失させる最大の原因となっている。

 しかも、現在、独身の三十歳代の日本女性は、そのほとんどにはこれからの結婚や出産のチャンスは稀にしかないのに、彼女たちが六十五歳になった時、年金制度が存在している確率はゼロである。日本の近未来に、親が遺した家に住んではいるものの、乞食同然の老婆が二千万人規模で日本列島を徘徊しているだろう。

 しかも、出生率の大抵下が進んでいるから、介護する人材はゼロで、これら老婆の介護などありはしない。介護ヘルパーを海外からの看護師で賄う取り組みは、財政破綻から、とうの昔に消えている。現在の一時期のみ可能なこのような介護制度は、国民を騙す詐欺師のサクラのようなものである。

 もう一例。

「福祉国家」の財源はすべて、国民の所得や企業の利益から強制的に徴収したものと、将来の子孫に負担させる借金である。もし、社会保障制度を全廃すれば、後代の子孫は悲惨な生活や国家への隷従から解放されるばかりか、現在の働く世代の(日本人の)可処分所得は少なくとも三割以上はアップする。被雇用者/雇用主の双方から徴収されなくなった社会保険料と、社会保障のための税金の減額で、現在八百万円の手取りの者は、一千百万円以上になるからである。

 このプラス三百万円は、みすからの意思で老後のたくわえと民間の健康保険に加入しても相当額が残り、そのぶん自由を享受できる。暮らし向きもはるかに楽になる。そればかりか、「自立」が再認識され、人間として向上しその能力が高まるから、必然的に所得がこれ以上になる。このように社会保障の害毒の核心は、個々の日本人の能力を劣化させ、老後を含めた人生計画や気構えを破壊する負に働くことにある。

 しかも、日本はあと十年も経てば、働く世代の受け取る可処分所得は、社会保障制度がなければ即座に二倍にはなるほど、社会保障の重圧の中で稼いでも稼いでも自由にできる金がほとんどない時代に入る。

 社会保障制度こそ、「日本人の生活を実際には貧しくしている」「これからはもっと決定的に貧しくする」最大の病気である。貧困から救出する妙案の社会保障こそ実は貧困の元凶であったことは、『ベヴァリッジ報告』や田中角栄の「福祉元年」の破綻であきらかではないか。ベヴァリッジも田中角栄も、近視眼的な浅智慧に酔い痴れただけだった。

 しかし、日本の有権者の多数は、無責任にも赤字国債を乱発し、バラマキ福祉の大盤振る舞いをする政治家を支持するし、デモクラシーはこれらの " 蔑まれるべき政治家 " を国会の主人公に仕立て上げる。デモクラシーとはこのようなものである。

 無教養な低所得層からなる「多数」が、将来の国家のことも経済発展や繁栄のことも人間の道義性や倫理道徳などもまったく思考できない「多数」が、自由や繁栄や道徳や未来の子孫に思いを馳せる少数のエリートの意見を排除する(パークやアレクシス・トックヴィルが命名した通りの)「多数の専制」システム、それがデモクラシーである。

「多数」である愚民が政府権力を左右する「多数の専制」となったデモクラシーにおいて、自由と繁栄と道徳を復権し、加えて子孫へも確かに保証する責務を果たすには、現在日本の「福祉国家」を解体する以外に、いかなる妙策ももはや存在しない。

 この大決断をする時、" 法の前の平等 " に反する「所得再配分」を正義とする、マルクス/エングルス著『共産党宣言』から生まれたドグマから真に解放される。同時に、日本人にも正しい叡智がよみがえり、その芽が再び成長して、「福祉国家」がめざした以上の繁栄と所得の大向上とを達成するだろう。






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