わたしと神様の一年 | We are one / 未来

We are one / 未来

動機はやっぱり愛がいい。
愛と希望を選ぶ。

一年以上前から予兆はあった。




私はその変化を前になんだかワクワクしていたのを覚えている。




それはじわりじわりと迫り来るが、私は呑気に日常を過ごしていた。




2018年のクリスマス、遂に鐘の音が鳴り響くと共にこんなメッセージがきた。




「さぁ、シートベルトを閉めて。

人生の大きな変化がやってきます。

これはあなたの待ち望んだ変化なのです!」





ただ、その頃の私はまだ気づいていなかった。



その変化が〝ワクワク〟なんてものではないということを。



〝グサグサ〟で〝粉々〟で〝痛い〟が伴うものだったということを。



だけど
それは同時に〝愛に還る〟ことが目的だったということを。










私は「神様」という言葉をよく口にする



それは昔から神様という存在がそばにあったから



特定の神様を信仰している訳ではない



だけどその〝存在〟がいたことは事実



しかし、これ程までに神様と向き合う日が私の人生に訪れる事になるなんて








2019年、私は神様と



とことん向き合って


神様に暴言吐きまくって


神様から逃げまくって


そして、愛された




「あなたの言いなりになんかならない」



「あなたがいなくても生きていける」





私は自分の身を滅ぼしてでも


自分の人生を賭けてでも


譲れないモノがあった


守りたいモノがあった



それは私にとって



神様より、譲れないモノだった



それが無ければ死んだも同然だと思っていた







目の前の現実に突如現れた




〝それ〟




絶対に認めたくない


死んでも認めたくない


認めるのなら死んだ方がマシ


死んでもいいから認めない





「これで私を地獄に落とすならそうすればいい」





本気でそう思ったし



本気で神様にそう告げた




あの時の私に
何も怖いものなんて無かった




まるで戦に出る武士か戦士のようだった




自分の〝強さ〟が人生史上、最上級に出ていたのは間違いない




たぶんとても怖い顔をしていたと思う




実際あの頃の私は、一番身近な人からも
「なんか武士みたいだね」とよく言われていた




『生きるか死ぬか』の世界




「私ではない人生を背負って生きていくか」



もしくは



「私の人生を捧げて死ぬか」




私に迷う余地はなかった




もちろん後者を選ぶと




自分の人生を生きれないくらいだったら
死んだ方がマシだと言い切った




神様にそう言い切った











だから私は



もしかしたら死ぬかもしれない



そう思っていた2019年春〜夏のこと



生きた心地がしなかった日々




大袈裟に聞こえるかもしれない




だけど自分でもこんな日がくるなんて



1ミリも思ってもいなかった




だってそれが「私」だったから



「私」のいない人生なんて私の人生ではない





死を覚悟してまで



貫き通した自分の信念



そしてプライド





耐えきれない現実に



痛くて痛くて



痛みが全身を襲う




なんでこんな想いしなきゃいけないの?



これまで頑張って生きてきたのに





痛みに耐えきれず



何度も神様に暴言を吐く



何度も逃げまわる



それでも私なんか



神様からすればひょいっと簡単に持ち上げられてしまう



小さな小さな存在



それがまた腹立つ




もう許せない





気付けば私は
私とは違う選択をする他人が許せなくなっていた





それは
神様がこの世の一番ということが許せなくなっていて




いや




神様を一番にするこの世の人間が許せなくなっていた





普段のわたしは




他人が何を選択しようが、考えようが、行動しようが何も知ったこっちゃないくらい、他人に興味がない人間だ




それが例え自分の価値観と真逆だろうが、簡単に割り切れる人間だ




だけど、自分の人生の最も大事なものを前にして私はそれが通用しない人間になってしまっていた







『皆はあなたを崇めるだろう』




『でも私はそうはしない』





抵抗して抵抗しまくった



これでどうなってもいい



私は何も怖くないと言い張った














しかし



全てが崩壊した















崩壊して



必死にこれまで守り抜いてきたモノが無くなって



私は抜け殻のようだった




これまで生きてきた「私」はなんだったの?



全てを奪われた気がした



死んだらこんな感じなのかな?とか思った







一体私になにが残ってる?







しかし
全てを無くして初めて知る感覚




私が必死に守り抜いてきた〝それ〟は



もう守りきれたんだ



守りきったんだ







『もういいんだよ』
『それでいいんだよ』







優しく語りかけられる










2019年が終わろうとしている今
私は生きてる





「あなたなんかいなくても生きていける」
どころか





あなたが共に生きていなかったことなんて



一瞬たりともなかったということ





神様に
本気で願うことすら出来なかったプライド



本気で祈ることすら出来なかったプライド



自力で生きてきたというプライド 




これが私だという自我、傲慢さ、恥ずかしさ






私はどれだけ
小さな場所でもがいていたというのか







私は神様の大きな大きな愛に包まれて
ずっと生きてる







命を引き換えにしてでも
捨てられなかったもの




例えば
信念、プライド、知識、善いと思い込んでいる教え、人生において最も大切にしているもの、信じているもの…




それら全てを捨てた時





私は神様から
新しい人生への招待を受け取った





それはまだ私の知らない道
だけどひとつ言えるのは
それが真実の愛へと続く道だということ






これが私と神様の間で起こった一年