まず体を使う。

時間を使う。

頭を使う。

気力を使う。

死力を尽くす。

 

 

これを他者の

20億倍する。

 

 

これを現代社会では

ブラックと呼ぶみたいです。

 

 

成熟した社会は

体を使わなくても

時間を使わなくても

頭や気力を使わなくても

 

 

ある程度の水準で生活や

満足度は得られるので

 

 

ある程度以上の努力は

「ブラック」と呼ぶのでしょう。

 

 

その成熟した世界は

物に溢れ、テクノロジーに守られ

ある一定の成果は誰でも出せるので

ある一定の報酬は少なからず守られており

 

 

その報酬が少なければ

社会が許さないか、別の場所に移動すればいい。

 

 

かつての日本のような発展途上国では

死力を尽くさなければ生きて行く事さえ出来なかった。

 

 

全ては先人が後進の子供たちの為に

死力を尽くし豊かな社会を作った結果。

 

 

その豊かな社会が普通だと感じ

その中で育つ子供たちや大人が

「ブラック」と呼ぶ環境は

 

 

果たして良い環境なのだろうか。

 

 

少なくとも私の周りにいる方々も

私も含め、現代でいう「ブラック」のレベルではなく

漆黒のブラックホールでした。

 

 

これは昔の苦労話や武勇伝の話ではなく

朝仕入れに周り、昼仕込みをし

夜営業をし、朝6時に帰る。

月600時間とか。

 

 

そんなレベルは何年も365日続け

体と時間の全てを使いました。

 

 

それが終わったと思ったら

次は、頭と気力を削り、眠れないどころか

死にたくなる程の出来事も沢山ありました。

 

 

まさに死力を尽くし

それでもなお、うまく行かない。

それでも、進む。

 

 

なので、その経験をされてる皆さんは

しっかりご自身の足で立っておられるし

2本の足でしっかり踏ん張っている。

 

 

できるだけ労働時間は短く、定時で帰り、休みを満喫し

日々の趣味を楽しみ、努力も死力も尽くさないけど

報酬は多い。

 

 

それが世間一般的な「最上級のホワイト」だと思いますが

今は、労働と対価の話をしているわけではありません。

 

 

努力や死力を「ブラック」と呼び

それをしない選択を「ホワイト」と区別していいのか?

っていう話です。

 

 

どっちもホワイトだし

どっちもオフホワイトだし

どっちもその人が自分の未来に向けての選択だし

どっちが良いも悪いもない。

 

 

方向性の違いなだけ。

 

 

でもこれだけは言っておきたい。

 

 

生まれてから死ぬまで1度も死力を尽くさず

「幸せ」を掴もうとするのは虫が良すぎる。

 

 

それは絶対にホワイトではない。

ただの人任せ。

 

 

人生には、死力尽くすべき時は必ずあり

そこで死力を尽くさない限り

絶対に目指す未来には辿り着けない。

 

 

あなたが死力を尽くすべき時はいつですか?

「死力を尽くした」と胸張って言える時は

人生にありましたか?

 

 

それは今ですか?

じゃいつですか??

 

 

自問自答してみてください。