防衛医大パート2 | 美容外科開業医の独り言

美容外科開業医の独り言

美容医療とは人間愛!という信念で仕事をしている美容外科医のブログです。
レーザーなど最新の美容情報や普段の診療で感じたことなど、ぼやきを交えながら書いていきます。
外見だけではなく心も綺麗になり、自信が湧いて幸せになれる、そんな美容医療を目指しています。

私が防衛医大出身ということを前に書きました。
防衛医大は防衛庁管轄の自衛隊医官育成学校ですが、その性質上、全寮制でした。
私の学年までは全員男子で、実は私は12年間男子校です....。
私の下の学年からは女子も入学し、今では防衛大学も女子がいるというのは周知の通りです。
さてさて、防衛医大は全寮制で、先輩と同じ部屋での生活、私の頃は4人部屋でした。
寮内はもちろん禁酒ですし、テレビも所有できません。電話も持てません(携帯のない時代ですし)。朝は点呼に始まり、朝礼、行進して授業へ行き、夜も点呼があり、消灯、その後は宿直の自衛官の指導教官が見回ります。部屋の明かりがついていることは許されませんでした(建前上は)。
お風呂も共同で、時間制限もあります。夜8時までだったので、最後の時間帯は運動系のクラブを終えた汗くさい男達が奪い合うように入るので、湯船はしょっぱかったんですね、本当に。そのお湯を頭からかぶるのは、あまり好きではなかったんですが、蛇口の数が少ないので、混んでる時はしかたなく、しょっぱいお湯をかぶってました。
時効だから書きますが、夜中に敷地の柵を乗り越えてラーメンを都内に食べにいったり、飲みに行ったりと、平日外出禁止のことろをこっそりと出かけたりしたものです。
お酒ももちろん駄目ですが、先輩が買いに行けと言えば、命令に従いこっそりと出かけました。それがばれて処分なんていう不幸な同級生もいました。
ただ、女の子とデートするにも、電話連絡手段が公衆電話から一方的にかけることしか出来ず(その公衆電話も長蛇の列)、女性から電話をかけ、寮の代表電話につながることなんて天文学的確率でした。
私は妻とは学生時代からの交際ですが、私の誕生日にと、電話をかけてくれた時は、1時間半以上もかけ続けたとか、そんな時代でした(今は携帯もあるし、電話も許可されたそうです)。
テレビだって見ることは出来ませんから、内緒でポータブルタイプを持っていて、こっそり見てました。今のような液晶ミニテレビなんてないので、秋葉原で6型ブラウン管テレビを買った記憶があります。
そんな制限された生活でしたが、ヒトのつながりは強く、夜遅くまで内緒で、こっそり飲みながら(ばれないよう小声で)、将来を語り合ったものです。今思えばよい思い出ですが、ちょっと男臭いかもデス。
私の人間形成に、すごく大きな影響を与えた6年間でした。