おはようございます!
みなさんご機嫌いかがですか?
前回からの続きです、、、
痛風の劇痛に苦しめられながらも、無事に宇都宮での最後の日を終えることが出来ました。
翌日も相変わらず激痛に苦しめられていましたが、宇都宮同様に無事に川崎での最後の日を終えることが出来ました。
入社してから退職するまで、たった2年半の期間でしたが、命をかけて生きた2年半だったせいか、「これでやっと解放されるのか、、、」と思った瞬間、全ての出来事が走馬灯となって、僕の頭の中を駆け巡りました。
生きて全てを終えることが出来たことを神様に感謝しました。
そしてもう一つ、無事に妻と子供たちが待つスペインに行かれることも神様に感謝しました。
妻と子供たちに会うのは2年ぶりでした。(長かったような短かったような、、、)
ここで少し話しが変わるのですが、宇都宮の最終日と川崎の最終日に、スタッフたちから、僕と一緒に思い出を兼ねた記念の写真を撮りたい、という要望があったのですが、少しその時のことをお話したいと思います。
実は僕は、昔から写真を撮ることが好きではありませんでした。
自分で人の写真を撮るのも、風景などを撮るのも、人から撮られるのも好きではありませんでした。
僕のブログを読んで下さっている方々の多くは、僕という男はけっこうオープンな男というイメージを持たれていらっしゃると思いますが、実はスペインに行く前の僕は、今とは全く正反対で、頭は固く硬派気取りのサムライ気質で、自分の心の中に思ったことはほとんど心の中にしまったまま、人に話すことはありませんでした。
理由はシンプルに「男は自分の心の中のことを、ペラペラ人に話すものじゃない。死ぬまで自分の胸の中にしまっておくものだ。」と信じ切っていたからでした。(昔の僕は、本当に驚くほど融通が利かなかったのです。)
例えば中学生の頃から、自分一人で研究していた「人間が持つエネルギー(いわゆる''気''というやつです)」のこととか、その他「幸せの極意」とか「人生の極意」とか「恋愛の極意」などと言ったことは、昔の僕は、全て自分の胸にしまったままで、家族にも友達にも誰にも、自分がそういうことを研究していたことすら話したことがありませんでした。
なので、もしもスペインで暮らすことなく、そのままずっと日本で暮らしていたなら(つまり変わる前の僕だったならば)、人目に触れる本だとかブログなどを書くことは100%なかったと思います。
僕が大きく変わったきっかけは、スペインで開業して、片言のスペイン語が話せるようになった頃(開業して2年ほど経った頃でした)、ある時ある患者さんから、人間が持つエネルギー(気)について質問を受けたので、僕が知っていることを、出来るだけ分かりやすく説明してあげたところ、とても喜ばれたことがきっかけでした。
その時に「スペイン人はこういう話しが好きなのかもしれないな。よしこれからは、こういう話を聞きたい患者さんには、積極的に自分が知っていることを何でも話してあげよう。」と決めたのです。
それからは、徐々に僕の話しを聞きたがる患者さんが増えていき、気がつけば専門の鍼灸(しんきゅう)は脇役となり、カウンセリング(というより、僕の場合は楽しい会話をすることがモットーなので、ほぼ茶飲み話しのようなものです。笑)が多くなったので、今では中学生の頃から60年近く研究してきたことを、患者さんたちに事細かに説明してあげて、喜ばれることが、僕の一番の喜びとなっています。
もちろん患者さんたちの話しを聞くのも僕の大きな楽しみになっています。
今では、日本で暮らしていた頃には、想像もできないくらいに、心の中にしまっていたことを簡単に話すようになってしまいました。(変われば変わるものです。笑)
日本に帰るたびに、同じように固い頭のサムライ気質だった亡くなった兄からいつも「お前は喋り過ぎなんだよ。男がそんなペラペラ喋るもんじゃないよ。」と言われるくらいに変貌したのです。(笑)
僕がスペインで暮らすようになって、間違いなく言えることは、相変わらず心の中にサムライ精神は持っていても、頭は昔とは比べものにならないくらい柔軟になったということです。
僕自身は、頭が固かった昔の僕よりも、頭が柔軟になった今の僕の方をとても気に入ってます。
話しを34年前の退職した日に戻しましょう。
スタッフたちからの「思い出に写真を一緒に撮ってください。」という申し出を、頭が固くて写真嫌いだった、当時の僕は「ごめん、写真は嫌いなんだ。」と言って、誰にも1枚も撮らせなかったのです。
僕のことを「話しのわかる優しい総支配人」と慕ってくれていたスタッフたちは、僕の写真拒否については理解に苦しんだと思います。
当時の僕は、写真を1枚も撮らせなかったことについては、特に何とも思わなかったのですが(当時の僕にとっては普通のことだったので。)、スペインで暮らすようになって、ガチガチに固かった頭と心が柔らかくなるにつれて、「思い出に写真を1枚撮らせてください。」と言ってくれたスタッフたちのことが思い出されて仕方ないのです。
いまだに「どうしてあの時一緒に写真を撮ってあげなかったのか、、、」と後悔の念が湧き上がるのです。
しかし当時は「自分が嫌いなことをやるのは、男の沽券(こけん)に関わる。」と、変な意地を張ってしまったのです。
続きは次回のお楽しみに!
それではまた来週の金曜日にお会いしましょう!
みなさんお元気で!
スペインのイルンより心を込めて、、、
水谷孝