おはようございます!
みなさんご機嫌いかがですか?
成田空港で叔父と○羽と○本さんに見送られ、僕が乗った飛行機は、いよいよフランスのパリのオルリー空港に向けて離陸しました。
オルリー空港に着いたら、一直線に僕が目指すのは、妻と子供たちが待つ、パリのエッフェル塔でした。
妻と子供たちと会うのは2年ぶりでした。
こんなことを言うと、妻には怒られてしまいそうですが、妻と別れていた2年の月日は、僕にとってバカンスのようなものでした。(笑)
ひと昔前に、奥さん族が言った言葉に「亭主元気で留守がいい。」という名言がありましたが(笑)、僕の場合は、さしずめ「女房元気で留守がいい。」といった心境の2年間でした。(妻が知ったらきっと怒るでしょう。笑)
しかし子供たちには、一刻も早く会いたいなと思いました。
子供たちと別れた時は、長男は小学校の5年生で、次男はまだ4才半でした。
パリで2年ぶりに子供たちに会う時には、長男はすでに中学1年生になっていて、次男も小学1年生になっていました。
飛行中、飛行機の中であれこれ考えました、、、
「子供たちは大きくなっただろうなぁ、、、」
「父親のことを今もはっきり覚えていてくれてるだろうか、、、」
「もう日本語は忘れてしまっただろうなぁ、、、」
「子供たちに会ったら、最初に何を言おうか、、、」
などなど、飛行機の中では子供たちのことばかり考えていました。
子供たちのことを考えているうちに、ついにパリのオルリー空港に着きました。
早速オルリー空港からメトロに乗って、妻と子供たちが待つエッフェル塔に向かいました。
今からさかのぼること49年前の1975年に(僕が21才の時でした)、パリで3ヶ月ほど暮らしていた時に、毎日パリの街を隅々まで、メトロに乗って探索したおかげで、パリの地理やメトロのことはだいたい分かっていたので、オルリー空港から迷うことなくエッフェル塔に行くことができました。(東京と違って、パリの地理とメトロはとても分かり易いのです。)
エッフェル塔に近づいた時に、遠目からエッフェル塔の下に目を向けると、はっきりと妻と子供たちがいるのがわかりました。
子供たちもすぐに僕の姿を見つけたようで、遠くから手を振っているのがわかりました。
エッフェル塔の下に、3人の姿を見た時「生涯でこれほど感無量なことはあるだろうか、、、」としみじみ思いました。
3人に会ってみると、もちろん子供たちはそれなりに大きくなっていましたが、驚くほど2年のブランクを感じさせませんでした。
ひと目見ただけで「2人とも元気に良い子に育ったなぁ、、、」と思いました。(2年間妻が一生懸命に育ててくれたのがわかりました。)
子供たちと話しをして、まず最初に驚いたことは、2人とも日本語を忘れていなかったことでした。
子供たちがスペインの日常生活の中で毎日話す言語は、スペイン語とバスク語なので、日本語を話す機会は全くないので、2年も日本語を話さなければ、すぐに忘れるだろうと思っていました。
特に下の息子は、スペインに来た時は、まだ4才半だったので、とっくに日本語を忘れていてもおかしくありませんでした。
ところが2人に日本語で話しかけたところ、上の息子だけでなく、下の息子までもちゃんと日本語で受け答えができたので、2人にむかって「2人ともよく日本語を忘れなかったね。」と言ったところ、妻がこう言ったのです、、、
妻「あなたがこっちに来た時に、もし子供たちが日本語を忘れていたら、あなたが淋しがると思ったから、子供たちが日本語を忘れないように、私が毎日一生懸命日本語を話していたのよ。だから子供たちは日本語を忘れなかったの。どう良かったでしょう。せいぜい私に感謝しなさいよ。(笑)」
と言ったのです。
妻が言ったように、2年ぶりに子供たちに会った時に、もしも子供たちと日本語で会話ができなくなっていたら、やはり父親としては淋しく感じたと思います。
もしそうなっていたら「2年も別れて暮らさなければ良かった。」、と後悔したかも知れません。
なので子供たちが日本語を忘れないように、頑張って毎日日本語を話し続けてくれた妻には、心から感謝しました。
周囲の人たち全員がスペイン語とバスク語しか話さない環境の中で、妻だけが周囲の目を気にせず、誰も理解できない日本語を、人前でも子供たちに使い続ける、というのは決して簡単なことではなかったと思います。
この日本語の件は、妻の性格(驚くほど超頑固で、驚くほど常に自分が正しいと信じ切っている性格)が、見事に良い方向に発揮されたケースだったと思います。(いつもいつも良い方向ばかりに発揮されるわけではないのが玉にキズなのですが。笑)
スペインで家族4人での新生活をスタートする前に、家族4人だけでパリで2泊3日過ごしたい、という僕の考えに、当初妻は「新しい生活が軌道に乗るまで少しでも貯金をしないといけないから」という理由で、猛反対しましたが、やはり僕が思った通り、親子の2年のブランクを取り戻すために、パリでの2泊3日は必要な時間でした。
これで気持ちが集中しやすくなったので、たとえ開業初日から、神様がたくさんの患者を送ってきたとしても、全ての患者に100%全身全霊で向き合う覚悟が出来ました。
続きは次回のお楽しみに!
それではまた来週の金曜日にお会いしましょう!
みなさんお元気で!
スペインのイルンより心を込めて、、、
水谷孝