スペインからこんにちは! その1.スペインバスクのイルンに着いた日 | 水谷孝のブログ「つれづれなるままに」

みなさんこんにちは!

 

ご機嫌いかがですか?

 

今回からのブログは、34年前の1990年から、スペインのバスク地方のイルンという町で暮らし始めてからの、僕と家族、僕と患者さんたち、僕と友人たち、僕と隣人たちとの、交流の日々をつれずれなるままにお話しするブログになります。

 

今回の第一回目は、2年ぶりに妻と子供たちに会い、家族4人で3日間楽しく過ごした思い出のパリを後にして、いよいよ最終目的地である、スペイン北部のバスク地方のイルンという町に到着した時のお話しです。

 

イルンに到着したのは、今をさかのぼること、34年前の1990年4月25日のことでした。

 

「イルンとはどういう町なのだろう?」と思う方が多いと思いますので、まず最初にイルンについて、簡単にご説明させていただきます。

 

イルンは地理的には、スペイン北部のバスク地方の海岸沿いから3㎞ほど内陸に入った、フランスとの国境沿いに位置します。

 

周囲を山に囲まれ、車で5分も行けば海もある、というとても恵まれた環境の中にある、人口6万人の町です。

 

僕がイルンに来た1990年当時の人口は、3万5千人でしたが、2000年頃から急速にアフリカ系移民や海外からの移住者(主に東ヨーロッパ系や中国系の人たちで、日本人は若干数)が増えたこともあって、現在の人口は6万人になっています。

 

スペインとフランスの間には、ビダソア川という巾400メートルほどの川が流れていて、その川の真ん中がスペインとフランスの国境になっています。

 

そのビダソア川には、僕が住むイルンと、フランスのアンダイエ(バスク語ではヘンダイア、スペイン語ではエンダイア)という、人口1万5千人の町を繋ぐ、巾40mの自動車と歩行者専用の橋が架かっています。

 

この自動車と歩行者専用の橋のすぐ隣には、スペインとフランスを往来する、国際列車専用の鉄橋も架かっています。

 

どうしてアンダイエに、ヘンダイアというバスク語名があるのかと言いますと、昔はアンダイエがバスクだったからなのです。

 

今でも、スペイン側のバスクを「スペインバスク」と呼び、フランス側のバスクを「フランスバスク」と呼んでいます。

 

フランスバスクは、昔スペインがフランスとの戦争に敗れた時に、フランス帰属になったようです。

 

なので、アンダイエはフランスですが、今も多くのお店で、バスクの民芸品やバスク製の品物が売られています。

 

アンダイエだけではなく、そこから車で15分ほど北東に行った「サン・ジャン・ド・リュズ」という美しい観光の町もフランスバスクです。

 

そしてそこからさらに車で20分ほど北東に行った所には、ヨーロッパ有数の避暑地として、そしてナポレオン三世が、奥さんの病気療養のために建てた宮殿(この宮殿は現在は五つ星のホテルになっています)があることでも有名な「ビアリッツ」という町があるのですが、この町もフランスバスクです。

 

世界地図をお持ちの方は、イルンとアンダイエとサン・ジャン・ド・リュズとビアリッツを探してみてください。

 

僕がイルンに来た34年前は、まだEC(ヨーロッパ共同体)が大きく変化する前だったので、橋の真ん中の国境のところには、スペイン側にスペインの国境警察が、フランス側にフランスの国境警察が、常に待機して外国人の出入国を厳重にチェックしていました。

 

なのでスペインとフランス以外の外国人はもちろんのこと、たとえスペイン人でもフランス人でも、パスポートがなければ、国境を通ることができなかったのですが、イルンの住民だけに関しては(日本人の僕も含めて)、何度もアンダイエに買い物に行って、国境を往復していたので、スペインとフランスの両方の国境警察とは顔見知りになっていたので、パスポートの提示を求められることは、ほとんどありませんでした。(これが本当の顔パスです!笑)

 

1996年頃から、ECの運営に大きな変化が起こり始め、まずEC加盟国のそれぞれの国の運転免許証が廃止になり、新たにEC全加盟国共通のEC運転免許証が誕生し、この新しいEC運転免許証を持っていれば、EC加盟国内であればどこの国でも自由に運転出来るようになり、それに伴ってEC加盟国間の国境に存在していた国境警察は廃止となり、EC加盟国内であれば、自由に国境を往来できるようになったのです。

 

なのでもう国境を越える時に、パスポートを持ち歩く必要がなくなったのですが、何かあった時のために、身分証明カードの携帯だけは、今も義務付けられています。

 

そしてEC加盟国のそれまでの貨幣通貨も全面的に廃止となって、ユーロに統一されたのです。

 

通貨がユーロに統一された最初の5年間くらいは、相変わらず頭が旧スペインペセタのままだったので、何を買うにも頭の中で旧スペインペセタからユーロに換算しなくてはならなかったので、とても苦労しました。(笑)

 

166ペセタ=1ユーロという換算だったので、たとえば12ユーロの物を買おうと思った時は、買う前に一度頭の中で「12ユーロか。ペセタだといくらになるのかなぁ?」と考えて、いちいち頭の中で「12ユーロ×166ペセタはいくらだ?」と計算しなくてはならなかったので、僕のように計算に弱い人間は、当時換算専用に売り出された小型電卓を買って、常に持ち歩いていたのです。

 

計算に強かった人たちは、苦労なくすぐに順応したと豪語していましたが。(本当かな?と思ったりしました。笑)

 

僕個人としては、30年近くたった今でも、スペイン経済はユーロに変えない方が良かったのではないかと思っています。

 

ユーロはドイツやフランスなどの強い通貨の国のレベルに合わせたものなので、スペインやポルトガルのような弱い通貨の国にとっては、マイナスの方が大きかったように思います。

 

スペインにおけるユーロの弊害につきましては、あらためて別の機会にお話ししたいと思います。

 

続きは次回のお楽しみに!

 

それではまた来週の金曜日にお会いしましょう!

 

みなさんお元気で!

 

スペインのイルンより心を込めて、、、

 

水谷孝