記憶が残っているうちに、続編。
その2 三途の川。
その1はこちらを。
なんとかターミネーター的に溺死を免れ、生きているうちに発見されたまでは良かったものの、瀕死である事に変わりはありませんでした。
次に意識が戻ったのは、救急隊が駆けつけてくれ、担架に固定されて搬送される時でした。
意識は朦朧で痛みも感じず、何か他人事のように客観的な感覚でした。
あとから聞いた話では、ドクターヘリにお世話になるレベルだったらしいですが大雨でヘリが飛べず、地元の救急車で搬送していただいたようです。
しかも、大雨で最短ルートは通行止。
迂回して、曲がりくねった山道。
救急隊の方々の素晴らしい処置と運転技術。心から尊敬し、感謝です。
お陰様で宮崎大学付属病院に到着し、救命救急センターへ。
そこで再び意識が戻ったものの、今度は意識を失いたいくらいの、未だかつてない激痛が続きます。
鎮痛剤やモルヒネ等を限界レベルまで投与しても効かないレベル。
昔観た戦争映画の野戦病院。 死なせてくれ!楽にしてくれ!
それが、なるほど。こういう事か?と、納得出来るレベルでした。
たまに痛みが無くなり、やっと少し寝れるかな?
と、思った瞬間には繋がれた機器の警報音が鳴り響き、看護師さんがダッシュしてきて、起こされます。
そしてまた激痛。
寝たいのに起こされていたのではなく、蘇生させていただいていたのでしょう。
それがしばらく続き、一回めの手術を終えた時には、容態が安定したので、たぶん三途リバーに行ったのは、搬送〜手術前のタイミングだと思います。
それは、癒されるくらいにとても綺麗な清流でした。
イメージ的に四万十川っぽい感じ。
川幅は、たぶん100メートルくらい。
いい感じの小石が散らばる河原があり、小さい船着場がありました。
向こう岸も、こっち側も俺以外誰も居ない。
船着場には、錆びたトタン貼りの小屋があり、そこで渡賃を払うようです。
昭和の寂れた観光船乗り場のような感じでした。
代金は、片道600円。
桟橋に船が居なかったので、待ち時間もあり。
そこで、思った事が鮮明に記憶に残っています。
向こう岸がすぐそこに見えている距離なのに、600円はちょっと高くないか?
次の船を待つのもめんどくさいな。
よし。サーフボードでパドルして渡ろう。
が、ちょっと寒いのでウェットスーツに着替える必要がありました。
でも、着替えるのは面倒くさい。
何か、忘れ物もありそうだし。
それで、渡るのは今度でいいかな?と、断念。
高い! 待つの嫌。面倒くさい。忘れ物とか準備不足。
が生還のポイントだったようです笑。
ここで、前回からの何度かの臨死体験をまとめて考えてみると、、
俺の場合はフランダースだったり、ターミネーターだったり、ラオウだったり、三途の渡賃の六文銭(六百円に自動的に換算されてた)だったりと、人生の中。特に幼少期や青年期に影響を受けた事象が反映されているようです。
国や地域に文化、宗教や価値観や個々の経験がフラッシュバックし、それぞれの臨死体験が形成されるのかな?
と、感じました。
何にしても、瀕死の時にギリギリで還ってくるポイントは、
悔いがあるって事。
悔いが無い人生を過ごせればベストだけど、そんな事出来る人は殆ど居ないと思うし、それならそのまま逝ってしまうかも。
悔いってネガティヴですが、それを見て見ぬふりしないで、ちゃんと認識していくのがいいと思います。
あのエロ本をタンスに遺したまま死ぬ訳にはいかん!
そんなくだらない悔いで生還する事も、あるかもしれませんね笑。
お次も、ミラクルに恵まれまくり。
その3 手術〜完全復活!
サーフボードキャリア、鉄工や溶接やレジンアートなど。
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